前回のブログでは、国家資格キャリアコンサルタントを取得した経緯を書きました。
前回、前々回とたくさんのお祝いコメントをいただきました。あたたかいお言葉、本当にどうもありがとうございます。
私は2017年5月3日に満期を迎えています
私は2016年10月26日(水)に仮出所し、2017年5月3日(水)に満期を迎えました。
満期からそろそろ丸6年。月日が経つのはあっという間です。
仮釈放中に選挙がありました。
夫にだけ投票所整理券が届いたとき、私はまだ受刑者の身分なんだと自分を激しく卑下したことも、懐かしい思い出となりつつあります。
選挙前に届く投票所整理券。
普通に生活をしていれば整理券を見るのは当たり前。届くことに何の疑問も感じないでしょう。
私は選挙権があることを幸せだなと思います。その理由は、
自分が日本国民だと国から認められている証拠だからです。
仮釈放中に選挙がなかったら、きっとこんなふうに感じることはなかったと思います。
夫の名前だけが印字されている整理券の宛名を見て、自分が社会から置いてけぼりにされているように感じました。
受刑前は当たり前だったことが当たり前じゃなかったんだと、社会に戻ってから気付きます。
月1回の病院通い
私は月1で心療内科と内科に通っています。
以前からブログに書いていますが、私は過敏性腸症候群です。受刑中に症状が出始めました。
その要因はたくさんあり、元々お腹が強い方ではないこと、人の顔色を伺いながら生きてきた成育環境、思考のクセ、過去の自分が汚いモノ=便と結びついている、閉所恐怖などが挙げられます。
現時点では、内科的治療(漢方薬の服用)と精神的治療(カウンセリング)、両方で寛解できればいいなと考えています。
前は完全に治したい!と思っていたのですが、このような完璧主義が自分を追い込み、身体の異変を引き起こしていることを出所後に学びました。
適当の「適」は適度の「適」です。あまりにも適当な人はどうかと思いますが(笑)、
適度に手を抜き、適度に休み、適度に仕事をし、適度にサボることも大切かなと思います。
ネイリスト試験を受けているころ
ネイリスト試験を受けているころは、下痢と腹痛との闘いでした。
その当時マンションに住んでいたのですが、エレベーターで1階まで下りて急にお腹が痛くなるなんてしょっちゅうでした。
家にいる間は全然平気なのに、一歩外に出ると腹部に違和感を感じます。電車も車も乗るのに一苦労です。
受刑前は公共交通機関を使うことはあまりなく、主に車で移動をしていました。お恥ずかしい話ですが43年間生きてきて、バスに乗ったのは10回あるかないかです。
過敏性腸症候群の症状も無かったので、高速の渋滞もたまに乗る電車も、何とも思っていませんでした。
出所後は家を出れば腹痛と下痢。そんな状態で首都高は走れませんし、トイレの付いていない電車には怖くて乗ることができませんでした。
この生活はものすごく不便で、人と一緒に行動をすることが怖くなっていきます。
「人と一緒に居るのにお腹が痛くなったらどうしよう……」、この考えがグルグルし始めたらもう止まりません。
こんな生活は嫌だ、何とか治したいと思い、初めて大腸カメラの検査を受けます。
でも内科的な疾患は見つかりません。医師は漢方薬を処方し、「精神的な問題かもしれないから心療内科の受診も検討してください」と言いました。
このときから半夏瀉心湯という漢方薬の服用を続けています。
昨日は心療内科の受診日でした
過敏性腸症候群の内科的治療は漢方薬で十分。
では心療内科で何をするかですが、1ヶ月間に起きた出来事、症状や気持ちの変化を伝えるのが主です。
昨日は国家資格キャリアコンサルタントに合格したことを伝えます。
キャリアコンサルタントを取って何をするの?と聞かれたので、今後の見通し、やること、私の人生目標をお伝えします。(時期が来たらブログでご報告します)
診察と言うより、先生と世間話をするために通っているような感覚です。
この世間話は私にとって新鮮で、新しい知識を得られて、これをやってみよう!挑戦してみよう!探してみよう!様々なきっかけを与えてくれます。
4年の間に、先生との時間は「診察」から「何かと出会える時間」に変化していきました。
私の挑戦をずっと聞いてくれました
私は先生に多くの報告をしてきました。
ネイリスト検定の合格、アロマテラピー検定の合格。このころから少しずつではありますが、下痢と腹痛が減ります。
元受刑者だから出来ることがあるんですと熱弁してみたり、産業カウンセラー養成講座でたくさんの人と出会い刺激をもらえて楽しいと報告したこともあります。
産業の筆記試験に3回も落ち、自分は勉強ができないのだと真剣に悩んだこともありました。こう勉強すればいいよ!というアドバイスもいただきました。
産業の筆記を受けるころには下痢も腹痛も激減しますが、電車はグリーン車、車移動では高速道路を避けることに変化はありません。
産業の試験に受からないであろうと知ったとき、悔しいし理不尽だけど、社会の意見として受け入れるとお話したのは、つい最近です。
そして今回、国家資格キャリアコンサルタント合格の報告。
先生は出所後の私の挑戦を、医師と言う立場からずっと見てくださいました。
4年が過ぎて
「湯浅さんがここに来るようになってもうそろそろ4年が経つんだね。症状もだいぶ改善されているね。」
……4年か。もう4年も経つのか。
あんなに下痢と腹痛に悩まされていたのに、過去と今を比べると圧倒的にその頻度は減っています。
カルテによると2019年9月が初診だそうです。4年前は病院へ通うときもお腹を壊していました。
今はグリーン車を使わなくても、15分程度の時間なら普通電車に乗れるようになりました。首都高も渋滞がなく短い距離なら乗れるようになりました。
最近神奈川県へ行くことが多いですが、「誰かと」「一緒に」「どこかへ行く」、「誰かと会う」ことは
私にとって決して当たり前のことではないし、ましてや簡単なことでもないのです。
4年前の湯浅静香は家を出ることさえ難しかったのですから。
人はゆっくり変化するものだと思います
ブログの冒頭にこう書きました。
夫の名前だけが印字されている整理券の宛名を見て、自分が社会から置いてけぼりにされているように感じました。
投票所整理券が届かないようなことをしでかしたのは、他ならぬ私自身です。
そこで卑屈になるのはおかしい。だって私はそれだけの犯罪を犯したのだから。事実をしっかり受け入れる必要があります。
この事実を、タイムマシーンに乗って過去の自分に伝えたとします。
「そうか!私が悪いんだ!」と瞬時に理解し、切り替えて生きていけるでしょうか?
現実を直視して勝手に疎外感を感じ、ときには卑屈になって、再度これまでの人生を振り返って、噛み砕いて腹に落とし込み、
今の活動をしようと決めて、動き始めて、やっと答えが見えてきたような気がする程度になるまで、7年弱かかっています。
腹痛と下痢に関して言えば、4年前より格段に良くはなっています。
4年の年月が経っても、まだ長時間の普通電車での移動、高速道路の移動はできません。
言い方を変えます。
4年間行動を続けることで、気兼ねなく人と食事をしたり、神奈川県までグリーン車で行けるようになりました。
私は弱いです。
弱いからこそ、勇気を持って一歩踏み出し、挑戦を続けています。
今は卑屈になることも減り、色々な人と出会う機会に恵まれ、繋がるご縁に心から感謝しています。
私は普段からブログで「このご縁に感謝します」と書きます。その理由は、
4年前の私のままなら、皆さんと実際に会うことは叶わなかったと本気で思うからです。
当たり前じゃないんです。選挙権があることも、こうして出かけられるようになったことも、電車や高速に乗れるようになったのも、当たり前じゃない。それはとても幸せなことなんです。
今日のブログは湯浅の出所後、ひねくれて卑屈でヘナチョコで、外に出ることもできなかったころのお話でした。
LINE公式アカウントの運用を始めます!
Twitterの凍結解除の見通しが立ちませんので、LINE公式アカウントの運用を始めます。
またブログでお知らせさせていただきます。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。
最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。