前回のブログでは、私が刑務所に行けば断薬できると夫が考えたところまで書きました。
母はどう考えていたのかですが、もう亡くなっているので真実は分かりません。その頃の母の様子を、夫から聞いた範囲で書いていきます。
簡易精神鑑定 #3で書きましたが、自分が依存症になり、留置場に入るような人間になったのは母のせいだと考え始め、暴力をふるうようになりました。
最初の逮捕の時は、私の経歴に傷がつくととても心配してくれたようです。
そんなこととはつゆ知らず、2回目の逮捕で私は精神鑑定を受け、自分の生い立ちを恨み、3回目の逮捕の時まで母に暴言を吐き、手を上げ続けます。
その逮捕後からは、私を心配する言葉は一切出てこなかったそうです。
実の娘に暴力と暴言を受けたのですから、当たり前といえば当たり前です。私が居ないから気持ちが楽そうに見えたと夫は言います。
私に実刑判決が下り、夫は私と離婚するつもりでいました。
親子関係がとても悪いので、出所後は一緒に生活しないほうがいいんじゃないか、離婚するにしても一度はこの家へ戻ってくる、その前に引っ越しをしたほうがいいと母に伝えたそうです。
役所のお世話になり住む場所が決まります。引っ越す時にその住所を夫に教えようとしたそうですが、
「このままあの子と一緒にいたら殺される。あの子には絶対に住所を教えないでほしい」と言ったそうです。
夫は正直な人なので、出所後の私に嘘をつきたくないから、自分にも住所を教えなくていいと伝えたそうです。
私はまた窃盗で逮捕され、実刑判決を受け、拘置所から刑務所へ行くことになります。
この間母が面会に来ることはありませんでしたし、どこへ行ったのかも分からずに受刑生活を送ることになります。
私の出所から(仮釈放から)半年後に話は飛びます。
役所から手紙が来ます。「お母さまはがんで医師から余命宣告を受けています。最後に会いませんか?」
夫と相談し、会うと決めました。段取りを決めて、会う日も時間も決まりました。
その4日前の日曜日、役所から電話がかかってきます。
母は亡くなりました。
会っていろんな話をしたかった。今の自分の想いを伝えたかった。
その願いはもう二度と叶うことはありません。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。