前回のブログでは、自分は依存症だからと開き直っている累犯が多いということを書きました。
立川拘置所で過ごす大みそかは、ダウンタウンの笑ってはいけないシリーズを観ました。
テレビの視聴時間は普段20:55までですが、大みそかだけは特別に延長されて、22:30まで観ることができました。
年末から年始の免業日には、類(優遇制度)に関わらずおせちとお菓子が出ました。何のお菓子だったか全部は覚えていませんが、アルフォートがあったのはとてもよく覚えています。
年明けはお雑煮も出されました。拘置所でおせちやお雑煮が食べられるなんて思っていなかったので、こんなに美味しいものを食べられるんだと感動しました。
年始は4日から作業で、この日から暫定3類になりました。
3類になると毎月1回3類集会があります。集会と言っても集まってワイワイお話しするというものではなく、あらかじめ報奨金か自分のお金で購入したお菓子を食べるだけです。
立川拘置所の3類集会は、飲み物とお菓子で400円でした。
1月6日の朝、転室するから荷物をまとめるように言われます。
転室……?
不安になりながら荷物をまとめます。現在は北棟ですが、元居た南棟へ戻ります。
立川拘置所の女区には私が確認できた限り、4つの作業がありました。
配食や他の受刑者へ材料を配ったりする衛生係、紙袋を作る工場、通役、居室内作業の4つです。
私は通役から工場へ配役されました。そして3種になります。
以前のブログでも書きましたが、私は電話面会をしたかったので種を上げる必要があります
その目標へ着実に、一歩進むことができたのです。
工場では私を含め、8人の受刑者が作業をします。
通役の作業場と正反対の場所にあり、担当の先生が目の前に立っています。トイレは通役と違って、申し出れば行くことができるようになったので一安心です。
作業内容は紙袋をつくるというものから変化はありませんが、材質が良い有名メーカーやショップの紙袋を作るようになります。常に先生と衛生さんがチェックするので、適当には作れません。
工場は初犯と累犯が半々で、その中に今回の懲役が5回目だという累犯がいました。罪名は全て覚せい剤だそうです。
私の年齢はこのこのとき36歳、彼女は2つか3つ下だったと思います。彼女が34歳だったとして、1回の懲役を2年~3年とすると、人生の半分近くを刑務所で過ごしている計算になります。
「わたし人生の約半分ムショ暮らしだからね~」と笑いながら話す彼女に、これから色々な話を聞いていこうと思いました。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。