前回のブログでは、学力テストとオリエンテーションがあったことを書きました。
私は今年41歳になります。(2020年時点)
向精神薬に18歳から38歳まで、約20年間依存してきました。
ひどい時期はベゲタミンを4錠、ハルシオンを1シート、デパスはフリスクケースに入れて気付いたら食べる、という生活を続けていました。
その向精神薬を断薬する日が、とうとうやってきます。
栃木刑務所に入所してから9日後の5月25日、私は断薬しました。
今日のブログでは断薬の経緯を掘り下げていきます。
この断薬のきっかけですが、睡眠薬を飲んでいると経理係になれないと立川拘置所で累犯から聞いたからです。なぜ経理係になりたかったかというと、1日も早く「類」と「種」を上げて電話面会をしたかったからです。
電話面会をしたかった理由は、夫が一切面会に来る気がないことが分かったからです。手紙でいくら説明しても夫は依存症を知ろうともしてくれません。
依存症は病気で治療が必要なこと、その治療は薬に頼るものではないということを、しっかり口頭で説明をしたかったのです。
それと、私を捨てて家を出て行ったときの母の様子を聞きたかったからです。
刑事施設という世間から隔絶された場所で、唯一の肉親の母親に見捨てられ、これから変わらなければ(更生しなければ)夫にも捨てられてしまう……。
離婚されて世間に放り出されたら、絶対に生きて行けない自信がありました。
向精神薬の乱用が受刑をきっかけに止まり、頭がどんどんクリアになります。
ODをしなくなったことで以下のことが考えられるようになります。(OD→オーバードーズ、処方薬の大量服用・乱用)
ある行動をとった結果、何が起こるか想像することができるようになります。
良い意味でも悪い意味でも“損得を考えられる”ようになります。
依存行動を続けていると孤独になる、ということに38歳で気が付きます。
孤独と断薬、どちらを取りますか?
刑務所まで来て崖っぷちに立たされています。薬を飲んでいたときには見えなかったものがどんどん見えてきます。
何度も刑務所へ来ている累犯を観察すると、孤独な人が多いです。孤独になると依存行動に走ってしまうことに気付きます。
自分と真剣に向き合わないと、私の人生は終わるだろうという想像がつきました。
・夜の世界や風俗で働いて、歳をとって指名が取れなくなって、また覚せい剤や処方薬に依存し、ギャンブルにお金をつぎ込む姿。
・また窃盗に走る姿。覚せい剤か窃盗か、はたまた詐欺か、どのみち累犯になってまた刑務所へ舞い戻るだろう。
・愛人生活なんて若いうちしかできない、全身に刺青が入っているオバサンを誰が愛人にしようと思うだろう。
・昼間の仕事も刺青のおかげで限定される。もう死んだっていいや。そうやって無気力で投げやりになるだろう。
自分が変わらなければどうなってしまうか、簡単に想像できてしまったのです。
私は断薬を選択しました。
依存症に立ち向かおう、自分にやれることをやっていこう。そう考えることができるようになったのは、本当に皮肉なんですが、
“人生を生きやすくなるよう、生活しやすくなるように補助してくれるアイテム”であったはずの向精神薬をやめたからなんです。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。