前回のブログでは、社会生活を送るための基礎を学校で学ぶので、高校までは行った方がいいと書きました。
最近母の夢、刑務所へ戻る夢、水商売をやっていた頃の夢、ヤクザの愛人に戻った夢をしょっちゅうみます。内容は罵られたり嫌われたり怒られたり、多くが良いものではありません。
特に刑務所へ戻る夢を見ているとき、「これは夢だ夢だ起きろ!」と思うと起きれたりします。
眠りが浅く、あの頃に絶対に戻るもんか!という強い想いがあるからできる技です。(笑)
上記の4つの中でも母の夢を見ることが多いです。今日はその理由について思ったことを書いていきます。
服役期間に、両親の責任と自分の責任を分ける作業を続けてきました。もちろん出所後の現在もその作業は続けています。
母は私の服役中に福祉施設へ入所しました。施設で1年ほど過ごした後、がんの再発が発覚し余命宣告をされます。
仮釈放から半年くらいして、役所の担当の方から手紙が届きます。「お母様はがんで余命宣告されています。最後に会いませんか?」と。
夫にも同様の手紙が届いており、「今の症子ならお母さんを受け入れることができるだろう」ということで、母と会う旨を役所の担当に伝えます。
以前のブログにも書いたことがありますが、会って色々な話をしたかったんです。
「お母さんとお父さんの教育方針がおかしかったから、常識のない人間になったと思ってる。でもそれがおかしいって気付いていながら、直そうとしなかったのは結局私。お母さんを殴ったりして本当にごめんなさい。自分の人生が狂ったことをお母さんのせいにしていた。お母さんに責任があると思っていた。過去に受けた傷は消えないし、お母さんから受けた仕打ちはこれからも許せないと思う。でも今は心から感謝してます。産んでくれてどうもありがとう。」
言えないまま母は亡くなりました。
自分の中で整理がついていると思っても、深層心理はそうじゃないんだと最近は考えます。
過去に私が受けてきた虐待やネグレクトを、幼い頃の母も同じように受けていたことや、依存症で暴走する私を止める気力も体力も無かったであろうということが、薬が抜けてやっと理解できるようになってきました。
血のつながった家族、毎日生活を共にしてきた家族だからこそ、見えなくなってしまうこともあるのではないか。
依存行動が激しいときは相手の気持ちを“推し量る”ことなどできませんが、それが段々できるようになっていきます。
今年の11月で出所から5年、母が亡くなって4年が経とうとしています。
あまり良くない夢を見るのは、今が充実しているからです。
毎日が充実している、幸せだと思えることがたくさんある、そんな生活を手放したくない、過去には戻りたくないと思うほど、今後も悪い夢を見るだろうと思います。
そんな中でも母の夢を多く見る理由。
私が受刑中にやってきた、親の責任と自分の責任をを分ける作業。
それを伝えられないまま死んでしまった母が、許せないんだと思います。
これは結果論です。
母が亡くなる前に会えたとしましょう。
思っていることを伝えて、それを鼻で笑われたり罵倒されるようなことがあったとしたら、それはそれで傷付くし「やっぱり会わなきゃよかった……」と思うでしょう。
母の死に目に会えなかったことにも、きっと意味があると思っています。
私の人生で母という存在がとても大きかった。改めて実感させられます。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。