Column

向き合う強さ

性依存

前回のブログでは、前々回のブログのコメント抜粋と、これまで自分がやってきた事を腹落ちさせないと、前向きに人生を振り返ることはできないと書きました。

前回のブログでもコメントをたくさんいただきました。どうもありがとうございます。今後も定期的にコメント抜粋をしていこうと思います。

進藤さんのニュースレター、刑務所伝道ミニストーリー113号に寄稿させていただきました

想いが溢れた結果、ものすごい長文になってしまいました。ニュースレターに載りきらないので、進藤さんのブログに載せていただくこととなりました。

私の過去から現在まで、文春オンラインに掲載された内容+αが書かれています。読んでいただけると嬉しいです。

頑張って!と言われたら苦しい

「頑張ってなんて気安く言わないで欲しい」というような内容を、何年か前からTwitterで見かけるようになりました。

これに賛同する人も多く、その気持ち分かる!簡単に言わないで欲しい、言われたら苦しい、言われる方の身になって欲しい、そういう意見が多いことに、大きな違和感を感じていました。

それと同時に、「頑張らなくていいんだ!」みたいな人もどんどん増えていきました。

アメブロでも、「あなたは頑張って生きてきました、解放されましょう」系のブロガーさんがとても多く、そういう人たちからしょっちゅうフォローが来ます。(因みに依存症子は、そういったフォローは自らバンバン削除して行くスタイルです)

私が今、特に困ったこともなく、うつでもなく、死にたいと思うようなこともなく、精神衛生が良い状態だから、それらの声に違和感を感じるのだと思っていました。

ですがやっぱりちょっと違う、ということに気が付きます。

そのことに気付かせてくれたのは、こちらのツイートです。

依存症者、受刑者、元受刑者はむしろ頑張れ!

依存症者、受刑者、元受刑者は、甘えたことを言っている場合ではない。厳しいですが、私はそう考えています。

特に受刑者、元受刑者は、刑務所にまで行くようなことをやらかしたのです。

その現実を見ず、投げ出して、「頑張れなんて気安く言うな」は、自分のやったことを棚に上げている以外の何物でもないと思います。

ときには逃げたっていい。でも投げ出しちゃダメ。

これは私のモットーで、一生自分に課して行くことだと思っています。

これを忘れてしまったら、いつか私は転落します。転落しないように自分を戒める、自分に課題を与え続ける、これが私の人生を良くする一つの方法です。

優しい言葉、耳障りのいい言葉は、頑張っていない人に刺さる

これが冒頭に書いた違和感の正体で、まさに長谷川さんのツイートでした。

これと言った努力をせず、時の流れにただ身を任せているような人に、「頑張らなくてもいいんだよ」という甘い言葉が刺さってしまうんですよね。

頑張らなくてもいい人は、ワーカーホリックであったり、そこに起因する希死念慮を持つ人だったり、入院中の人だったり、精神疾患を持つ人であったり、そういう人たちだけだと思います。

色々なことを投げ出して、自分と向き合うことをせず、ただただ「死にたい」と言っている人を見ると、何とも言えない気持ちになります。

この人たちは、一生こういうことを言い続けるのだろうかと考えると、悲しくなります。

類は友を呼ぶ怖さに繋がります

前回のブログで、「心が病む人の周りには、同じような人が集まってくる。傷の舐め合いをする。これは私がいつもブログに書いていることです。」と書きました。

冒頭に書いた違和感がここにも繋がってくるのですが、頑張っていない人の周りには、頑張っていない人が集まるのです。

頑張っていない人同士で傷の舐め合いをし、「頑張るなんて簡単に言うな!」と言っているようでは、何も改善されませんし、前に進みませんよね。

依存症子…偉そうなこと言いやがって……、そう思った方。

私も昔そう考えていたから、言いたい人の気持ちが分かります

・過去の私は、物事を全力で投げ出してきました。
・嫌なことから、徹底的に逃げてきました。
・甘い言葉を囁く人が優しい人、自分のためを思ってくれている人だと勘違いしていました。
・自分から人が離れていくのは、周りが悪くて自分は悪くないと思っていました。
・人や時間に流されるまま、自分を持たずに生きてきました。

こんな人生を送っていれば自堕落にもなるし、他人から認めてもらえることもない、褒めてもらえることもない、まともな人が自分から離れていくのは、当然の事ですよね。

そうしていつの間にか、同じような考え方を持つ人とつるむのです。

ぬるま湯に浸かり、似た者同士で「自分は悪くないよね」、「辛いよね」、「超分かるよその気持ち」、「死にたい」、そんなことを言い合っていました。

そうやって生きて来たから、刑務所へと落ちた

甘い言葉を言うのは、簡単なんです。相手のことを真剣に考えていないから、優しい言葉だけかけ続けられるのです。

言う方は、「優しい言葉をかけ続けたら、この人の人生はどうなってしまうだろう?」そんなことは考えていないんです。

その場だけ凌いでも、何の意味もありませんよね。

何事もその場凌ぎで生きて来てしまった私は、見事に刑務所へ落ちることとなりました。

根本の問題を投げ出してきたから、解決しようと頑張らなかったから、落ちたんです。

過去の私は、優しい言葉というサプリメントを、まるでクスリのように使ってきました。

優しい言葉が心地良いから、もっと言って、もっと言ってと、優しい言葉にまで依存をしていたのです。

頑張らなきゃいけない人が、「頑張らなくていいよ」という言葉を、免罪符にしてはいけないと思います。

現実と向き合う強さを養う

過去の私、本当に酷い人間です。

ここで忘れてはいけないのは、酷かった過去の私もまた、本当の私だということです。

そんな過去の自分を見るのは辛いです。嫌です。見たくないです。

でも人生をやり直すには、どうしても過去を見つめなくてはいけない。そこを必ず通らないと、依存症から回復できないんです。更生できないんです。

嫌だけど、向き合う。
辛いけど、向き合う。
叫びたくなるけど、向き合う。
涙が出るけど、向き合う。
自分をぶん殴りたくなるけど、向き合う。
投げ出したくなるけど、もう絶対に投げ出さない。

これを少しずつ、少しずつでいいんです。続けていくと、必ず強くなります。

現実と向き合う強さが、少しずつ身についていきます。

そしてその強さは、揺るぎない自分の力、自信となるのです。

過去の自分と、向き合ってください

辛くない人なんて、いません。

刑務所に行ったことが無くたって、犯罪とは無縁で生きて来た人だって、立派に社会人をやっている人だって、過去の自分と向き合うのは辛いんです。

私が皆さんに「過去を振り返って下さい」としつこく言うのは、そうすることで強くなれるからです。

二度と同じ失敗を繰り返さない、強い心を持てるようになるからです。

生きて行くのに強さなんて必要ない、そういう意見の方もいらっしゃるでしょう。

私は依存症当事者で、元受刑者です。

依存症になったのも受刑者になったのも、結論として自分が弱かったからだと分析しています。だから強くなる必要があるのです。

その強さが自信へと繋がり、挑戦できることが増えていきます。

挑戦したことが身になれば(実や花になれば)、更なる自信に繋がります。

お恥ずかしながら、40歳を過ぎてようやく気付きました。

それが“生きる”ということだと思います。

来週のブログは、産業カウンセラー試験の勉強追い込みのためお休みをいただきますが、コメントは随時お返しします。

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。

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