前回のブログでは昨年一間の総括として、依存症からの回復とは、生き方を見つけ続けることだと書きました。
多くのコメントをいただきました。いくつか抜粋します。
・依存症回復支援センターでの最大の学びは、『回復とは、依存を使わないことではなく、依存を使わないで何かをすること、何かが出来るようになること』です。
回復の場でこのような話が聞けたり、学ぶことができるのはとても有難いことですよね。依存を使わない事ではなく、残りの人生、依存を使わないで何ができるか?これに尽きます。
このことを当事者だけではなく、支援する側の方にも、知っていただきたいです。
教えてくれる場は、あるのです。あとは皆さんがその場へ一歩、踏み出せるかどうかです。
・自分はダメだと闇雲に自分を責め自己嫌悪する毎日で、どうせ何やったってダメと思っていた。ですが回復を続ける依存さんの存在を知って、自分の中に少しずつ希望が持ててきた。内省が足りてないので、自分をしっかり見つめる時間を増やしたい。自分の生き方を見つけられるようになりたいと思った。
私も過去このように考えていたので、お気持ちがとてもよく分かります。闇雲に自分を責めて、自信が持てない。何をやっても失敗するような気がする。
私は自分をとことん責めていたけれど、同時に挑戦もしませんでした。自分に自信が無いから、挑戦ができなかった。挑戦するだけムダだと考えていたのです。
でも過去をよく振り返ってみたら、「やらない言い訳」だったりするんです。どうせ出来ないなら始めからやらない、挑戦しない。あるいは出来ないと、勝手に「思い込んでいる」んですよね。
この「思い込み」は、質が悪いです。なぜなら、行動に移す気力や力を奪っていくから。
勝手に自分で自分を評価して、勝手に落ち込んでいく。だったらダメ元で行動に移して、撃沈した方がまだ良いのではないかと私は思います。
こんなどうしようもない私でも、挑戦することはできる。続けることができる。
だからきっと、このブログに辿り着いた皆さんにも、できると思います。
・人間は弱い生き物で、何かには依存しているのかもしれない。生き甲斐、やり甲斐があることを見つけられたら、依存から抜け出すきっかけになるのかも。あとはかけがえのない大切な存在に気づくことかも?
人はとても弱い。誰にも何にも頼らずに生きて行くことはできない。それを普段から意識している人は少ないと思います。私も常日頃意識しているかと言うと、そんなことはありません。
生き甲斐、やり甲斐、大切なこれらを忘れさせてしまう、または気付かなくさせてしまうのが「依存症」です。
生き甲斐ややり甲斐よりも、依存、依存、依存。
こうなってしまうのが、悲しいですが「依存症」という病気なのです。
かけがえのない存在について、これは今受刑している全受刑者に、声を大にして言いたいです。
あなたを待ってくれている人が居ること、手紙を書いてくれる人が居ること、差し入れをしてくれる人が居ること、面会に来てくれる人が居ること、これら全て、
当たり前じゃねぇからな!?
相方の山本圭壱さんが、不祥事で長らくテレビから離れていましたが、バラエティ番組のめちゃ×2イケてるッ!で復帰を果たします。そのときに加藤さんが、山本さんに向けて言った言葉です。
この放送が流れたとき、私はまだ刑務所に服役中でした。出所してYouTubeでこの動画を観て、大泣きしたのを覚えています。出所後の私には加藤さんが夫に見え、山本さんが私に見えたからです。
当たり前に慣れてはいけない。同時に、心から感謝しなくてはいけないのです。
・夫が私の身元引受人になってくれたことは、奇跡なんです。
・待っていてくれたことも、奇跡なんです。
・面会に一度も来てくれなくても、私の為になる本や現金の差入れをしてくれることが、奇跡なんです。
今受刑している全員に、当たり前に慣れないで欲しい。あなたを支えてくれる人がいるのは、
当たり前じゃねぇし、奇跡だってことに早く気付けよ!
言葉が汚くて申し訳ありませんが、依存症子は心底こう思っています。
・自分も昔風俗嬢をやっていた、依存については色々な事が自分にも在った、そして私の周りにも、薬やら色々な依存の落とし穴に嵌っていった人達が居た。どうしても止めれなかった、その後悔は、今でも私の戒めとして記憶に しっかり刻まれています。
夜の仕事と風俗。どちらも経験している私ですが、依存とは切っても切れない世界だと私は感じています。
私が働く風俗店の女性は、ホストに貢ぐ人が多かったです。全員とは言いません。中には男性を養っている女性も居ました。いわゆるヒモですね。
夜の世界は違法のモノ、あらゆるものが手に入るし、身近になる場所です。私もこの方と同じく、依存の落とし穴に嵌った人を見ています。亡くなった人も見ています。
依存症子、何で止めなかったんだよ!そう思う方もいらっしゃるでしょうが、私自身も依存行動が激しかったころなので、止めようがありませんでした。後悔先に立たずです。
あの世界は、会社員では手に入れることができない金額を、短時間で手に入れることができます。その分精神はすり減り、昼夜逆転になったり、心を病む人が多いのもまた事実です。
類は友を呼ぶ怖さ
心が病む人の周りには、同じような人が集まってくる。傷の舐め合いをする。これは私がいつもブログに書いていることです。
そういう人たちは人生において、自分にとってマイナスになるような人の元へと、自ら近付いて行っていると依存症子は考えます。
前向きな人と一緒に行動を共にしたり、傷の舐め合いではなく、共に成長し合うような人とお付き合いをする。これは自分で気付かなければいけないことです。
そこに気付かずに引っ張られてしまっている、あるいは負の連鎖の中に身を置く人は、誰が何を言ったってアドバイスしたって、言うことを聞かないんです。何故だと思われますか?
・本人がその場に居ることに、酔っているからです。
・その場から抜け出したいと口では言いながら、その場に居ることが実は心地良いからです。
・ポエムのように自分の置かれている状況を綴ることで、自分に酔っているのです。
・そこから抜け出そうと、心底思ってはいないからです。
上記の4つが当てはまる人の周りには、高確率で同じような人が群がっているか、孤独のどちらかです。
今日は皆さんに、こちらの標語を紹介して終わろうと思います。
昨年Twitterで呟いたことがありますが、新年初めのブログということで、この言葉を皆さんに送りたいと思います。
こちらはお寺の掲示板などに貼られている標語です。ハッとさせられるようなことが書いてるので、これだ!と思うものは写真を撮ったり、スクリーンショットを撮ったりします。
刑務所へ行ったのは自分のせいじゃない、不可抗力だったと考えている、思っている方が、このブログの読者さんにいらっしゃるかも知れません。
私はそうは思いません。あなたがそうなるように種を蒔いたから、刑務所へ行くことになったのです。
これをしっかり“腹落ちさせないと”、いつまで経っても過去を消化できず、たらればを考えてしまうと思います。
私は刑務所へ行って、本当に良かったと思っています。なぜそう思うかですが、行かなかったらどうなっていたか、自分で予測がついてしまうからです。
離婚、稼げなくてまた風俗、熟女風俗でも刺青が全身に入った女なんか採用してくれない、簡単に稼げる詐欺にでも手を出す、また刑務所へ舞い戻る、または自殺している。
これが自分で予測する、刑務所へ行かなかった依存症子の未来です。
あぁ、刑務所へ行かなかったら○○だったのに……。
こう考えている人は、自分が犯した罪を心から反省していないか、刑務所へ行ったのは自業自得、それを納得していない、腹落ちさせることが出来ていないからだと思っています。
「たられば」なんて、ありません。
※たられば→「もし○○していたら」、「もし○○していれば」という仮定を伴う主張・願望・後悔・議論・批判を意味する日本語の語である。叶わない事柄を望んだり、様々な場面で主に後悔の念に囚われているときに使われたりする。また、そのような願望や後悔は無意味であるという非難のために使われる。(Wikipedia参照)
いつまでも後ろばかりを見るのではなく、自分に良い変化を起こさせるために、考え方を変えたり、行動してみませんか?
前向きに、これまでの人生を振り返る作業をやってみませんか?
皆さま、明けましておめでとうございます!
ご挨拶が遅くなりましたが、今年も依存症子こと湯浅静香を、どうぞよろしくお願いいたします。
引越し後の片付けも大体終わって、段ボールがほとんど無くなり、あとは整理整頓するだけとなりました。
産業カウンセラーの筆記試験勉強を、年末から年始にやると大晦日のブログに書きましたが、ほとんどできませんでした。少しずつ勉強を進めて行きます。(笑)
皆さまにとって、2022年が素晴らしい1年となりますよう、心からお祈りいたします。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。
最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。
