Column

戒めのピアス

依存症者の家族

前回のブログでは、今日が碧の森の正式オープンだと書きました。(2022年2月11日㈮)

さすがに告知のみのブログではつまらないということで(笑)、今日は私の右耳のピアスについて、お話をしていきます。

こちらは碧の森のプロフィールに使っている、私の写真です。白黒なので分かりにくいですが、右耳の軟骨にピアスをしているのが見えると思います。

このピアスは、ターコイズとシルバーで出来ています。
決して高価なものではありません。ましてや、誰かにプレゼントをされたわけでもありません。

私はこのピアスを、一生身に着け続けます。

今日はその理由を書いて行きます。

スカルプチュアネイル、全盛期

 

スカルプチュアって何?と思う方がほとんどだと思いますので、簡単に説明します。

今こそネイルはジェルネイルが主流ですが、私がバリバリ働いていた10代後半は、ジェルネイルはまだ存在しませんでした。

ネイルサロンへ行く=スカルプチュアを施術するのが一般的だったのです。

お値段、10本で3~4万円はかかったと記憶しています。
今はさすがにもっと安くなっていますが、時代は巡るのか、またスカルプチュアブームが来ているようです。

↑画像はフリーサイトからお借りしました。
自爪では絶対に伸ばせないような長さにできるのが、スカルプチュアの魅力でした。

水商売では着飾ることも仕事のうち。私はこのスカルプチュア施術が上手なサロンとネイリストを探します。(以後スカルプチュアを略してスカとします)

 

ネイリスト、Mさんとの出会い

 

Mさんのサロンを見つけたのは、ホットペッパーなどの紙媒体だったと記憶しています。今のようにインターネットは普及していません。やっとiモードが出始めたころです。

お店の雰囲気もとても素敵でした。昔の私好みの、薄暗くてエスニックな雰囲気。

お香の匂いが香る店内では、エクステンションも施術していました。

エクステンションとは、地毛に人毛を編み込んで長くするものです。ショートヘアでも2時間程度であっという間にロングヘアになることができます。

今でこそ、どこにでもエクステンション屋さんはありますし、美容院でも施術している所は増えているようですが、昔はあまり無かったんです。

そこでエクステンションとスカを施術してくれたのが、Mさんです。

 

Mさんみたいになりたいと思いました。

 

Mさんは私よりも年上の女性で、今は恐らく50歳くらいになっていると思います。

当時から妖艶な雰囲気がありましたが、全く飾らない、とてもサバサバした方でした。ミステリアスと言う言葉が一番しっくりくるかもしれません。

Mさんと楽しい話をしながら、髪の毛が長くなっていく、爪も長く美しくなっていく。

サロンへ行けば、最低でも施術時間は3時間~4時間はかかります。でもMさんと話をしていると、あっという間に時間が過ぎました。

↑Mさんに施術してもらったエクステンションです。髪の長さがウエスト辺りまでありますね。

私が違法薬物、向精神薬でおかしくなりつつあるころ、Mさんのお店は無くなってしまいました。
Mさんがどこへ行ってしまったか分からぬまま時は進み、私が夫と付き合いだす直前のことです。

道が混雑しているので迂回するために通った狭い道で、良い雰囲気のお店を見つけます。

何のお店かな~とチラッと見ると、

 

あれっ!?もしかしてMさん!?

 

とてもとても狭いお店です。中にはMさんが居て、何か作業をしていました。

私は思わず車を停めてお店に入り、「私のことを覚えてますか?依存です!」と言うと、Mさんは「症子さん!!もちろん覚えてますよ!久しぶりですね!」と言ってくれました。

何年ぶりの再会でしょう。記憶がすっぽ抜けているので正確ではありませんが、5年は経過していると思います。

Mさんは自分でお店を開き、革製品を加工してバッグや財布を作ったり、ハワイアンジュエリーを扱ったり、作家さんが描いた絵を売ったり、以前とは全く違うことをやっていました。

もうネイルやエクステンションはやらないんですか?という質問に、昔のお客様には施術するときもあるとのこと。お店の電話番号を聞いて、その日は帰りました。

 

Mさんのお店にしょっちゅう行くようになります

 

Mさんのネイルデザインが、私はとても好きでした。

この頃はすでにジェルネイルが主流でしたが、長さを出すことができないネイルなどネイルではない!くらいに思っていたので、自爪にマニキュアでアートを描いてもらっていました。

Mさんが作成するバッグもとても魅力的で、いくら使ったか分からないほど、たくさんのバッグを購入しました。家の中は、Mさんのバッグで溢れていきました

察しの良い読者の方は、もうお気付きかと思います。

 

この頃の私はすでに、向精神薬をフリスクのように食べていました。

 

Mさんのバッグやインディアンジュエリーを片っ端から買い漁りますが、使わないものがほとんどでした。

オーダーメイドですから、決して安くはありません。夫にも当然のように買わせ、他のお客さんにも買わせました。

身につけているアクセサリーは、全てMさんのお店で購入したものです。

右耳を見てください。ピアス、していますよね。

 

私はMさんのお店で万引きをするようになります

あれだけ好きだったMさん。Mさんのようになりたいと思っていたはずなのに、私はMさんを大きく裏切り、傷付けてしまいました。

Mさんは私を警察に突き出すことはせず、盗んだ物を返してくれと言いました。

本当に酷い話ですが、どれが盗んだ物で、どれが買ったものか分かりませんでした。

私は母をお店に連れて行きました。過去ブログにありますが、母に思いっきり暴力を振るっていたころです。

「てめぇが謝って来い、てめぇの育て方がおかしかったせいで私はこうなったんだから、子どもの不始末は母親であるアンタが取って来いや」、と罵りながら。

Mさんは「お母さんは全く関係ない、出てってください!」と物凄い剣幕で怒っていたと思います。

「思います」という曖昧な書き方になってしまうのは、薬を大量にオーバードーズ(OD)し、記憶が定かではないからです。

 

そして私は別件の万引きで、刑務所へ行くことになります

 

受刑中のことは省いて、仮釈放になってからのことを書きます。

ある日、BOOK・OFFで洋服を見ていました。夫からのお小遣いは無く、食費のやり繰りで浮いたお金で洋服を買っていました。

新品はとてもじゃないけれど買えない、だからBOOK・OFFの中古品で、程度や状態の良い服を真剣に選ぶ。

そのときです。全く知らない人に声を掛けられました。

「そのバッグ、A店のMさんのバッグですよね!?」

 

急に声を掛けられたので驚いてしまいました。恐らく私は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたと思います。

「そうです、これはMさんのところのバッグです」と答えると、その方は「やっぱり~!とても素敵で、そうじゃないかなーと思ったんです!今日の私のバッグもMさんが作った物なんですよ!」と親しげに話掛けてきました。
私は、怖くなりました。
私の事がこの人を通じて、Mさんの耳に入るんじゃないか?

「そうですか、じゃあ…」と言って作り笑いをし、私はBOOK・OFFから逃げ出しました。

きっと作り笑いにもなっておらず、引きつっていたと思います。

「BOOK・OFFで背の高いこういう人が、こんな形のバッグを持っていたんです」と、その人がMさんに話をすれば、きっとMさんは私だと分かるはずです。

何故なら、Mさんのバッグは全てオーダー品。ご自身が作成したバッグが、誰の元にお嫁に行ったのか、しっかり記録されている方だったからです。

オーダー品が故に、誰が購入したかなおさら記憶に残るのだと思います。

 

数日間、悶々と過ごしました

 

まだMさんはお店をやっている。あの場所で。

出所したし、謝りに行った方が良いのではないか。
きっと門前払いを食らうだろう、第一謝りに行く勇気が無い。
Mさんのバッグを持っていて、また街中で誰かに声を掛けられたらどうしよう。

こんなことばかり考えていました。

 

私は未だに、Mさんの元へ謝罪に行っていません。

これには賛否あると思います。

仮に私が被害者だった場合、二度と犯人の顔など見たくないと思います。

それと、謝罪に行くことが、自分自身の我が儘に思えたからです。

謝罪を受け入れてくれたとしても、門前払いで撥ね退けられても、

 

どちらも「形式上謝罪をした」ことに満足してしまう自分が居るのではないか?

心から謝罪をしても、謝罪をしたという「行為自体に満足してしまう自分がいるのではないか?」それは私の自己満足なのではないか?

とことん自分と向き合った結果、私はMさんに謝罪に行くことはしないと決めました。

 

その代わり、自分で購入したこのピアスを、自分自身の戒めとして一生身に着けて行こう。

あのとき、Mさんを裏切り、傷付け、激怒させたことを、決して忘れてはいけない。

自分の記憶から消してはいけない。絶対に風化させてはいけない。

 

皆さん、私は弱いから、ピアスを見る度に思い出すのです。

なんであんなに酷い事をしちゃったんだろう。時間、戻ってくれないかな。Mさんと仲が良かったころに、戻れないかな。

そんなことを考えても後の祭り。
後悔先に立たず。
覆水盆に返らず。

 

Mさんからすれば、いくら購入したものとは言え、Mさんのお店の物を私が身に着けること自体、面白くないかも知れない。

いっその事、全て処分してくれ。そう思っているかも知れない。

Mさんからすれば、私が向精神薬でおかしくなっていようが、依存症と言う病気だろうが、依存症子であることには変わりはないのです。

 

ピアスを見る度に思い出す。

そしてそれを噛みしめて、背負って生きて行く。
これが「今の私の」生き方です。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。

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