前回のブログでは碧の森の正式OPENのお話と、右耳の軟骨に着けている戒めのピアスについて、なぜ戒めなのか?どうして着けているのか?その理由について書きました。
今日は私が受刑するもっと前、今から17年前へ遡り、ブログを書いて行きます。
スロットの話題が出ますので、ギャンブル依存症の方は画面バックを推奨します。
キャバの仕事の前は、毎日パチンコ屋「D」店へ
パチンコ屋全盛期だったと思います。私が働く繁華街に、オリエンタルパサージュ、ガイア、楽園などの大手から、個人経営のパチンコ屋がひしめいていた頃です。
私の働くお店の近くに「D」店がありました。このD店、お客さんがほとんどおらず、どうやって経営しているんだ?と疑問に思うほどでした。
同じお店で働く女の子と、このお店で合流し一打ちして、お店に出勤していました。
お客さんが居ない店になんで行くの?当然出ないでしょ!そう思ったあなた。
そうなんです。別に設定を入れているようなお店でもなく、ほぼ負けて出勤する羽目になります。
では何故このD店に通い続けたのか?
来店ポイントを集めると、好きな台の設定⑥が打てる特典がある店でした
(※スロットの設定⑥とは?→当時スロットには設定①~⑥まであり、簡単な説明になりますが①がほとんど出ない、⑥が一番出る、というものです。今現在の台は複雑化しているので一概にこうだとは言えません。)
今では考えられませんよね。これはあの頃も違法だとは思うのですが、知る人ぞ知る特典、という感じだったと記憶しています。大手ではなく個人経営店だからこそ出来た荒業でしょう。
みんなこの「設定⑥を打てる券」を求め、毎日通って来店ポイントをゲットするのです。
設定⑥を15時から閉店まで打てる券でした。
考えてみてください。出勤日に必ず通って1万から2万は負ける。仮に万枚(20万円)出たとしても、20日通った分が回収できるかできないかです。
こんなに簡単な計算ができないほど依存脳だったと言うより、設定⑥を打ちたい欲の方が強かったと思います。
私はこのポイントを貯め、台の名前はもうすっかり忘れましたが、裏物の沖スロを打たせてもらいました。台を開けて設定⑥にするところも、しっかり見せてもらえます。
(※裏物→スロットの基盤を不正に改造したもののこと)
せっかくの設定⑥、しかも裏。
でも裏物は波が激しくなかなか出なくて、結局最後に流した枚数は4千枚程度だったと思います。
このD店で働いていた可愛い女の子が、Nさんでした
私がD店に足を運ぶ一番の目的は来店ポイント集めですが、実はもう一つ理由がありました。
Nさんをお店にスカウトしたい、ずっとそう思っていました。
Nさんは端正な顔立ちの正統派美人、スタイルは瘦せ型。このころのお店には、パッと目を引く可愛い子が居なかったので、私は彼女に狙いを定めました。
まだ10代後半と若いのに、D店で一生懸命働いている姿に好感を持った私は、「パチンコ屋の重労働で時給1,500円なら、キャバクラで時給3,500円もらった方が良くない?」と誘いまくりました。
このような感じでスカウトをしながら、D店でポイント集めをする。D店はいつも閑古鳥だったので、潰れるのも時間の問題だと思っていたから、Nさんの職が無くなる前にぜひうちのお店へ!と企んでいたわけです。
Nさんのスカウトは成功し、あっという間に人気が出ます
女の子を見る目は、あの頃の私には間違いなくありました。この子は絶対に指名が取れる!という子は何となく分かるのです。
水商売はただ可愛いだけで売れるような、簡単な世界ではありません。何でこの人が!?という容姿の人がナンバーだったりすると、本当に奥が深い仕事だとつくづく感じたものです。
Nさんはあっという間に指名が増え、そして少し悪い人たち、ヤクザや金融系、今で言う半グレのようなお客さんからの指名が増えました。
私は「良かった」と思いました。
彼女が活躍できる場を提供できた、お金も稼げている、D店で働いていた頃から真面目だったのだから、きっとこの世界でもしっかりやっていけるだろう。
このときの私は、まさかあんな事になるなんて、思ってもみませんでした。
私が向精神薬のODで色々失い、交際男性の家に転がり込んでいたときのことです
働かずに彼の家で一日中ゲームをやる、テレビを観る生活を送っていた頃です。
交際男性は、私がどこかに出かける度に、「その場所が分かるように写真を自撮りして送れ」というような人でした。
私はクスリでおかしくなっていたので、言うことは出まかせで嘘ばかり。当然この男性からは全く信用されず、物凄い束縛をされていました。
この時のことはそんなに記憶にありません。ODがどんどん激しくなり、自殺未遂をする頃の話です。
そんなころ、Nさんから何年振りかで着信がありました
「症子さん、元気っすか?」
あれ?Nってこんな喋り方をする子だったかな?と疑問を持ちながらも、懐かしさから話をします。
今は何も仕事をしておらず、男性と同棲しているという話を聞きます。気になったのは、呂律が回っておらず、Nが何を言いたいのかイマイチ伝わってこない事でした。
これは私もODでおかしくなっているから話を理解できなかった、と言う可能性もありますが、とにかく言っていることが支離滅裂で、呂律がほとんど回っていませんでした。
「症子さんって、クスリいっぱい持ってんすよね?」
クスリ……?その情報はどこから聞いたんだ?と思いながらも、「シャブはやってないよ、眠剤や安定剤ならあるけど」と言うと、
「今症子さん住んでんのってどこらへんっすか?少し分けて欲しいんすけど、今日の夜取りに行ってもいいっすかね?」
話が急展開過ぎましたが、とにかく眠剤が無いと眠れない、かと言って病院に行く金もない、だから分けて欲しいという話でした。
嫌な予感がしながらも、家の住所を教え、夜11時に取りに来るという話になりました。Nの顔を見ながら話をして、何か悩みや困ったことがあるなら、相談に乗れるかも知れない。
11時過ぎてNから、家がどこかを確認する電話があり、「マンションのエントランスに居るんで待ってます」と言われます。
私はベゲタミンA、ベゲタミンB、サイレース、エリミン、アモバン、ハルシオン、を4錠ずつ用意し袋に入れて、エントランスへ行きます。
そこに居たのはNではなく、チンピラのような容姿の、香水臭いガリガリの若い男でした
「Nから言われてきました。症子さんっすかね?」
見た目も臭いも、嫌な予感しかしない。
その男に問います。症子は私だけど、Nから言われて来たって、本人どこに居んの?
私は当然N本人が来るものだと思っていました。そしてヤクザよりもタチの悪そうな目の前の男に、物凄い不信感を覚えました。
「Nは体調悪いんで、自分が代わりに取りに来たんす。Nは家に居ます。」
本当に?そう思った私は真偽を確かめようと、Nの携帯に電話を掛けます。すると、
「その男に眠剤渡してもらっていいっすか?ちょっと家から出れないんで代わりに行ってもらったんです」と、電話に出たNは言いました。
体調悪いって、もしかしてシャブやり過ぎて体調悪いってこと?外に出れないくらいヨレてんの?と畳みかけるように質問します。
「まぁ、そんな感じっすかね。その男に渡してもらえれば大丈夫なんで、よろしくお願いします、失礼します」と、電話をガチャ切りされました。
Nがまさか覚せい剤に手を出すとは……。
信じられない気持ちでいっぱいになりました。
睡眠薬を男に手渡し、「Nに変なことを教えたのはあんたなの?」と聞くと、「俺じゃないっすけどね。眠剤確かに受けとりました。あざっした。」とさっさと帰ろうとしたので、ちょっと待ってと腕を掴みます。
男はびっくりした顔をしていました。「腕見せて。」と言うと、悪びれる様子は一切なく、トレーナーの左手の袖をめくり、注射痕のあるガリガリの腕を見せてきました。
トレーナーを着るにはまだちょっと暑い夏の終わり、秋が始まるころでした。
男は、「気が済んだっすか?症子さんだってやってたことあるんすよね?Nも一緒にやってますよ。止めても無駄だと思いますけど」
そう言って、呆然とする私のもとから足早に車へと戻り、あっという間に走り去ってしまいました。
私はNに何度も電話をしました。日にちを変えて、週を変えて、でもNが出てくれることはなく、やがて現在使われておりませんのアナウンスが流れるようになりました。
「まぁ、そんな感じっすかね。その男に渡してもらえれば大丈夫なんで、失礼します」、これがNとの最期の会話となりました。
何ヶ月か経ったある日、キャバクラのボーイをしていた人から、Nが自殺したという知らせが来ます。
「どうやら覚せい剤をやりすぎておかしくなっちゃったみたいだよ。親は精神病院に入院させたり、何とかしようと頑張ったらしいけど、まさか自殺しちゃうなんてね。症子さんスカウトだったよね、N。」
通話を切り、少しボーっとします。
ボーイの「症子さんスカウトだったよね、N。」という言葉は、悪気なく発した言葉だと思います。
でもあの時の私には、「症子さんがNをスカウトしなかったら、Nは死なずに済んだかも」に聞こえてしまったのです。
Nはヤクザにもなりきれないようなチンピラと交際していたと、後に聞きます。その男が私が眠剤を手渡した男だったかは、分かりません。
Nが覚せい剤が原因で自殺したかは、分かりません
Nの自殺の原因が分からぬまま、今に至ります。推測することしか出来ません。
ですが私はタイトル通り、自殺の要因の一つに、覚せい剤があったと思っています。
仮にあのころに戻れたとして、薬物依存症の彼女を助けられたか?と考えます。
何度考えても結論は同じところに行き着きます。きっと私には出来なかった。
自分のことで精一杯。
ましてやOD真っ最中。
記憶は吹っ飛び呂律も回らず。
ギャンブル依存も激しい。
自傷行為も(刺青も)進行。
こんな状態でNを説得できたか?
絶対に出来なかったと思います。
彼女を夜の道へ引き入れた、自分が悪いと思っていました
ですが、刑務所へ行ってから私の考えは変わりました。
「命を絶つ選択をしたのは、N自身」
これは受刑者にも同じことが言えると思っていて、
「刑務所へ行くようなことをやらかしたのは、他の誰のせいでもない、本人」なのです。
今日のブログにも、賛否あると思います。
Nは、生きることを諦めました。
私は元受刑者で依存症当事者です。全身に刺青は入っているし学歴は高卒。
人生汚点だらけだけど、決して生きることを諦めません。
そんな私にしか出来ないことがある。
そんな私だから出来ることがある。
私はNの天真爛漫な笑顔を、一生忘れずに生きて行きます。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。
最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。
