前回のブログでは、受刑者や依存症者は支える側の心をなかなか理解できないと書きました。
8月17日(水)に、神奈川県鎌倉市にある大船榎本クリニックへ行ってきました。
榎本クリニックは東京都と神奈川にある病院です。榎本クリニックのHPはこちら。↓
大宮駅から約1時間20分で大船駅へ到着。電車を乗り換えずに済むので楽でした。大船駅から歩いて10分程で、榎本クリニックに到着です。
斎藤章佳先生との出会い
斎藤先生を知るきっかけは、クレプトマニアの悠さんでした。
以前から大船榎本でスピーカーをしていると聞いていて、斎藤先生の著書に悠さんの事が書かれていることもあり、何冊か著書を購入していました。
その中でもグイグイと引きこまれたのは、「盗撮をやめられない男たち」です。
タイトルだけ見ると性依存メインのように感じられますが、どんな依存症の方でも読める本です。
ぜひ読んでみてください。
FacebookとInstagramを、ひっそり始めています
実は、悠さんの勧めでFacebookをひっそりと始めています(笑)
多くの人と繋がる、という意味ではTwitterでも十分ですが、依存症子という人間が実際に存在することを知ってもらうには、本名でFacebook、連携してInstagram、発信用にTwitterと使い分けるのが良いかなと考えました。
書いていることは概ね一緒です。Twitterの140字でおさまらない想いや考え、気持ちをFacebookに書くこともあります。
Facebookはこちら。↓
ゲストスピーカー
ご縁をいただき、Facebookで斎藤先生と繋がることが出来ました。
ゲストスピーカーとして、大船榎本クリニックでお話をする機会がやってきます。それが8月17日(水)でした。
榎本クリニックでは、毎月のプログラムに沿ってたくさんの方が依存症からの回復を目指しています。
この日、私は20名程の依存症者の前でお話をさせていただきました。
皆さんの依存は、様々です。
ギャンブル、窃盗(クレプトマニア)、性、処方薬。
あっという間の50分でした。
私の人生を話すには、50分では足りませんでした。
斎藤先生から事前に「皆さん大体50分では終わらない」と聞いていたので、無理矢理50分で終わらせた感は否めません。(笑)
話す中で重きを置いたのは、幼少期です。
○○があったから今の私はこうなった、と繋げていきます。
回復中の皆さんにも、「人生を繋げて」考えてもらえたらいいな、と思ったからです。
受刑中の気付き、出所後の苦しみや辛さも話したかったですが、時間が足りませんでした。
皆さん回復にとても意欲的で、びっくりしました。
あの日、私の話を聞いてくださった皆さんにこのブログが届けばいいな、と思いながら書いています。
私はあの日、結構な感情を出して話をしました。
実はもっと出したかった。でも初めてお会いする皆さんに失礼があっては……と思い、あれでも控えめです。(苦笑)
幼少期の性的いたずらから、母への暴力、リアルな言葉遣いなど、お聞き苦しい所があったと思います。
極力、その時に感じた痛みや苦しみ、気持ち良かったこと、楽しかったこと、のめり込んだことには、感情を載せて話をするようにしています。
長時間聞いてくださって、皆さん本当にありがとうございます。
え?幼少期の性的いたずら!?聞いてないよ!!
そう思った昔からの読者さん、来週のブログに詳しく書く予定です。
実は私は小学校1年生の時に、クリトリスで「イク」、という経験をしています。
私が躊躇うことなく援助交際や不倫、愛人生活を続けた根本の理由は、ここにあると分析しています。
今まで黙っていた訳ではないのですが、何となく書く時期を逸してしまったので、来週詳しく書いていきます。
性被害に遭われた方には、フラッシュバックになる可能性があります。読む際はお気を付けください。
皆さん私のことを「街録ch」で予習されていました。
大変有り難いことに、質問をたくさんいただきました。紹介させていただきます。
どれも核心を突いた質問でした。そんな中でも印象に残った質問と答えを、改めて書いていきます。
出所してまるで聖人君子のように変化していますが、そんなふうに変われるものですか?
これは会場で直接受けた質問です。タイトル回収になりますが、私は聖人君子ではありませんし、出所後に180度変わった訳でもありません。
出所後は本当に辛かったんです。何度も逃げ出したくなりました。「私こんなに頑張ってるのに、なんで旦那は評価してくれないの?理解してくれないの?」ずっとそう思っていました。
タバコに逃げ、スマホゲームに逃げ、挙げ句は課金もし、タバコがバレて夫から物凄い冷ややかな目を向けられ、本当にきつかった。
私を歯牙にも掛けない夫に腹が立ち、離婚したいと何度も思いました。
刑務所で学んだこと。「ときには逃げてもいいけれど、絶対に投げ出さない」、受刑者は現実から逃げて投げ出すから、こんな所に来てしまったわけです。
ときにはタバコやスマホゲームに逃げた私ですが、1日1,000円でバランスの良い食事を2食作り、掃除も洗濯もサボりませんでした。
それを1年続けたあたりから、夫の態度に変化があった。これは私がいつもブログに書く、「相手を変えるにはまず自分から」、です。
資格に挑戦したことも、私を変えた出来事でした。
参考書を買っただけで勉強した気になったり、詰めが甘かったり、早とちりしたり、すぐ理解した気になったり、そういう事に嫌と言うほど気付かされたのが、ネイリスト検定と産業カウンセラー養成講座です。
依存症とは全く無縁の人と、人間関係を構築する。
この体験が、今の私を形作っています。
・十人十色、様々な意見や考えがあっていいんだ。
・否定される=私のことを嫌いなわけじゃないんだ。
・私のことを本気で考えているから、厳しく指導してくれるんだ。
・全てを受け入れる必要はない、受け流す、或いは受け止めればいいんだ。
・白黒はっきりさせなくても生きていけるんだ。
こういうことを気付かせてくれたのは、ネイルスクールの先生や生徒さん、産業カウンセラーを共に学んだ仲間たちです。
依存症から回復すれば、いずれ社会復帰します。復帰中も復帰後も、きっと問題は降りかかって来ます。
でも焦らないで、一つずつ丁寧に、問題に向き合っていけばいい。
起こっていない事を悩む前に、今を見て、昔の自分より今の自分が成長していれば花丸💮です。
ときには逃げてもいい、投げ出さなければ。
希望を持てない人にアドバイスはありますか?
「希望を持っているから」、大船榎本クリニックに繋がり、真剣にプログラムを受けているのではありませんか?
本当に希望を持てない人は、行動など起こしません。
大船榎本に繋がる行動を起こした、それ自体が凄いことなんだと、自信を持ってほしいです。
時間は戻って来ませんが、戻れるとしたらいつに戻りたいですか?
私の母は、「このままじゃ静香に殺される!」と家を出ていきました。もちろん受刑中に面会も手紙も一切ありませんでした。
私は母に捨てられたのです。捨てられて当然のことをしたと思っています。
家を出た母は区のお世話になり、老人ホームに入居していました。人工透析を受けていた母は障碍者手帳1級を持っていたので、ホームに入居するのは比較的簡単だったようです。
区から「お母さまはガンで長くない、最後に会いませんか?」そう手紙が来て、夫と相談し、今の私なら母と冷静に話ができるだろうと、木曜日に会う約束をしました。
あと4日で会えたのに。日曜日に鳴った区役所の番号通知を見て、母の死を悟りました。
もし戻れるならば、母が亡くなる前に会って、「ご飯作らなかったりキレまくったり虐待されたことは今でもムカつくけど、産んでくれてありがとう」、そう伝えたいです。
ちなみに受刑する前に戻りたいとは、これっぽっちも思いません。今の私は刑務所へ行ったから、存在するのです。服役経験は辛かったけれど、私のかけがえのない体験、経験でした。
刑務所が私を成長させてくれました。逮捕されて本当によかった、感謝しかありません。
最後に、あなたが依存症になったことには必ず意味があります。
大船榎本ですべての質問にお答えしましたが、ブログでも改めて「皆さんからの質問」を書かせていただきました。
その理由として、まだ病院や自助グループに繋がっておらず、苦しい思いをしている依存症者はたくさんいて、その人たちに皆さんの声が届けばいいな、と思ったからです。
回復に向けて前向きに頑張っている人がたくさん居る、回復できる「病気」だと周知するのは大切です。
大船榎本に通う皆さんが、今依存症で苦しんでいる人の希望になる。
依存症者のご家族に、気づきを与える貴重な存在なのです。
皆さんが依存症になったことには、必ず意味があると、私は思います。
大船榎本クリニックで記念撮影をしました。
大船榎本クリニックのリカバリーメッセージに参加しました。最後はプログラム参加者さんと記念撮影。 斉藤章佳先生、率先して撮影してくれた👓ちゃん、多くの質問をしてくださった皆さん、同じ自助に参加するsさんのお手紙、本当に本当にありがと… https://t.co/40UwgjBRVc
この日は私にとって一生忘れない日になるでしょう。
皆さんからの質問も、大切に保管させていただきます。
この機会を与えてくださった斎藤先生、悠さん、本当にありがとうございました。
産業カウンセラー試験、落ちました。
産業カウンセラーの筆記試験、また落ちてしまいました。
たくさんの方に応援していただいたのに、お守りまで送ってくれた方もいるのに、不甲斐ない結果となりとても悔しいです。
実技は既に合格(免除)しているので、あとは筆記に受かればいいだけ。うーん、なんとももどかしい。
色々な人に落ちたことを報告しました。まず、私の受刑歴をさらっと受け止め、碧の森を運営するきっかけになったローズネイルスクールの荻原ちとせ先生。
「苦戦するのは、きっと湯浅さんにとってそれが意味のある時間だからです」
思わず涙が出ました。そう、私にとって意味のある時間なのです
今日のブログに書いたように、落ちたことには必ず意味があります。
そして夫にも報告しました。
夫の返信にも、感動しました。私を責める言葉が一切ありませんでした。
私はまだしっかり学んだとは言えない、だから落ちたのです。
産業カウンセラー養成講座を一緒に受けたMさんに、LINEをしました。
Mさんの「斜めとか後ろから見て、正面が見えていない」というアドバイス、まさに目から鱗でした。
正面から素直に問題を捉えることをせず、「引っ掛け問題が前提」という先入観で、試験を受けていたことに気付きました。
次の試験は、来年の1月です。
受かるまで諦めない。ときには逃げるけれど(笑)、絶対に投げ出しません。
読者の皆さん、こんな私ですが、また応援してくださると嬉しいです。
大船榎本クリニックの皆さん、斎藤章佳先生、悠さん、素晴らしい出会いに感謝します。
私をずっと支えてくれている夫、ネイルスクールの荻原先生、忌憚のない意見をくれる産業カウンセラー仲間、いつも的確なアドバイスを下さるHP作成会社のSさん、本当にありがとうございます。
皆さんの力があって、私はここまで成長出来ています。
いつも私を前向きにさせてくれる大切な人たちに、心から感謝です。
私は本当に幸せ者です。ありがとうございます。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。
最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。