Column

私が受けた性被害

依存症者の家族

前回のブログでは、大船榎本クリニックでゲストスピーカーとしてお話ししたこと、いただいた質問への返信と、産業カウンセラーの筆記試験に落ちたことを書きました。

実は私は小学校1年生の時に、クリトリスで「イク」、という経験をしています。
私が躊躇うことなく援助交際や不倫、愛人生活を続けた根本の理由は、ここにあると分析しています。今まで黙っていた訳ではないのですが、何となく書く時期を逸してしまったので、来週詳しく書いていきます。

 

↑前回のブログの抜粋です。

内容を書いていきますが、正直生々しいです。

過去に性被害に遭われた方やフラッシュバックが起きそうな方は、今日のブログは読まないことをお勧めします。

 

 

幼少期から鍵っ子生活

 

 

いきなり話は逸れますが、ヨガの先生のお子さんは小学5年生です。

大体金曜日の午前中に予約を入れるのですが、「この日は早く子供が帰るので難しいです」とお断りされることがあります。

子供が一人で留守番をしたり、鍵っ子になるのはこの時代は稀なのだろうか、と考えます。(決して先生の子育てを否定するものではありません。)

私は小さい頃から鍵っ子でした。
鍵を首からぶら下げるようになったのは小学生になってから。それまでは鍵っ子あるあるでしょうが、植木鉢の下に鍵が置いてありました。(笑)

 

ザリガニがたくさん釣れる沼

 

持ち家が無かったので、幼稚園年長から埼玉県の大宮の片田舎、一軒家の借家で生活します。

今はもう無くなりつつあるでしょうが、トイレはボットン便所でした。落ちそうになったことが何回もあります。(笑)

家の近くにはうっそうとした森、高台、沼がありました。夜道は街灯も無く真っ暗。車が一台通れる程度の狭い道路。

 

近くの沼には色んな生物がいました。おたまじゃくし、あめんぼ、ザリガニ。

私はザリガニ目当てで沼へ通いました。糸を垂らせば簡単に釣れたのです。

 

鍵っ子で両親は共働き、一人で過ごす時間が多かった私は、ファミコンをやったり外に遊びに行ったり、誰の監視も無く自由に過ごしていました。

 

高台の沼のそばで、私は「おじさん」と出会います。

 

 

シロツメクサの冠、ネックレス、指輪

 

 

皆さんは「シロツメクサ」をご存知でしょうか?

↑こちらがシロツメクサです。春から夏にかけて見かけますよね。

このシロツメクサを編み込んで、冠やネックレスを作ることができます。

↓こんな感じ。可愛いですよね。

私はザリガニ釣りに夢中だったのですが、少し離れた場所で冠を作っている「おじさん」にふと気が付きます。

はじめは気が付かないフリをしながら、可愛いな、たくさん作ってるな、そう思いながらザリガニ釣りを続けます。

そんな日が1週間くらい続いて、おじさんの方から声を掛けてきました。

 

「冠の作り方を教えてあげようか?」

 

 

 

優しい人に、悪い人はいない

 

おじさんは私の横で冠にネックレス、指輪やブレスレットを手早く作ってくれました。

どれも子供の私サイズに作って渡してくれました。まるで自分がお姫様になったような気分でした。

 

幼少期の私は、大人に対する危機感や嫌悪感が全くありませんでした。

その理由は、母の入院で幼い頃から親戚をたらい回しにされた記憶から、「自分の面倒を見てくれる、優しくしてくれる人に悪い人はいない」と思っていたから。私の中の性善説です。

今の子供も「大人はいい人」と思う子が居るかも知れませんが、現代ほど「知らない人には注意しなさい」とは言われませんでした。

 

おじさんはとても器用でした。

少し経っておじさんは、「作り方を教えてあげようか?」と聞いてきました。

喜んで「うん!」と答え、おじさんが私を膝に抱える形で、ツメクサの冠づくりを教わるようになります。

 

 

初めての絶頂

 

 

おじさんは段階的にツメクサの作り方を教えてくれました。子供でも分かるように、ゆっくり、分かりやすく。

そのうち、「この先を知りたかったらおじさんの言う通りにする?」と聞いてきました。

子供です。「うん」と答えました。

 

おじさんは私の下着の上から、局部を触り始めました。

不思議なんですが、全く嫌だと思わなかったんです。怖いとも思わなかった。

 

おじさんは執拗に下半身を触って来ました。

「嫌なことはしない、気持ちいいことをしてあげているんだよ」、こんな事を言われ続けた記憶があります。

雨の日以外ほぼ毎日、私はツメクサとおじさんを求めて、高台の沼へ行きました。

 

尿意を我慢できないような、何とも言えない不思議な体験をします。

これが恐らく、私が初めてクリトリスでイクことを覚えた日です。

 

うまく言い表せませんが、「ツメクサを貰って可愛くなって、作り方まで教えてくれて、気持ち良くしてくれる」おじさんが好きでした。

恋心のような感じではなく、某魔法の国のキャラクターに会いに行くような感覚です。

 

季節は秋になり、おじさんは私の前から消えました。

 

 

性への目覚め

 

 

おじさんが私の前から消えたあと、おじさんに気持ち良くしてもらった記憶が鮮明に残っている私は、何とかして同じ気持ち良さを味わいたいと思います。

 

オナニーを小学1年で覚えます。

これが私の性への目覚めです。

 

おじさんは挿入はしませんでした。今思えば唯一の救いかなと思います。

 

 

大船榎本クリニックで受けた質問です

 

 

・挿入されなかったのが唯一の救いとはどういう意味ですか?

→もし挿入されていたら、小1で処女喪失です。幼い身体に成人男性の性器が入らなくて良かった、もし入っていたら身体が(私の性器が)壊れていたのではないか、後々精神的におかしくなっていたのではないか、という意味です。

 

・その「おじさん」をどう思っていますか?

→恨んでいません。むしろツメクサで可愛くしてくれて、気持ち良くしてくれてありがとうという感じで、恨んでも憎んでもいません。かと言って好きでもありません。現在の私の中で、おじさんの存在は「無」かも知れません。

 

これは私の認知が歪んでいるのだと理解していますが、あの強烈な快楽は私の記憶に鮮明に残っています。

 

 

性被害を受ける頻度が高くなる

 

 

この事をきっかけに、私は結構な頻度で性的ないたずらをされたり、犯罪に巻き込まれることが多くなります。

 

小学3年の頃の家庭教師は、私に密着してきて、耳元で鼻息を荒立て、体を密着させてきました。

勉強を教えるのに、なんで耳元で囁くのか意味不明でした。

 

これは私が反射的に「気持ち悪い!」と思って母に報告し、すぐに家庭教師を辞めてもらいました。

母は「アンタの勘違いでしょ?そうやってすぐ嘘をついて投げ出すんだから」と、私を信じようとはしませんでした。

 

 

被害数は高校生の頃がダントツ

今ではあり得ないブルマで体育の授業を受けていて、グラウンドの周囲にカメラを持ったおっさんが居ました。入れ代わり立ち代わりで。

「撮ってんじゃねぇよ!」とガン黒グループで詰め寄ると、ササーっと居なくなります。それをみんなで面白がっていました。

 

安室ちゃん全盛期、ミニスカートで階段やエスカレーターを上がれば、後ろでガサゴソ音がする。ハッと振り返ると紙袋の中にビデオカメラが入っている、なんてザラでした。

昔ですから、今みたいに手軽にスマホやペンタイプのカメラで盗撮、なんて出来ません。盗撮犯はこんなにいかつくて重たいVHSカメラを、バッグや紙袋に忍ばせていました。

 

気付いた私は犯人を全速力で追い掛けるんですが、ああいう時の犯人って、走るのめっちゃ早いんですよね。(笑)

火事場のクソ力ってやつでしょう。

 

こんなカメラです。昭和生まれの方、懐かしいですね。

撮影された写真や動画はどこにあるのだろうと思いますが、現在のようにネットを万人が使いこなせる時代ではなかったので、各々の趣味の範囲で楽しんだのかなと勝手に思っています。

 

 

夜職時代も変わらず被害に

 

 

キャバクラへ出勤するのに、車を使うのが当たり前の時代でした。お客さんも車で来て、代行を使わずに帰るのが普通でした。飲酒運転の厳罰化前です。

 

私が車を停めていたのはお店が借りている駐車場で、何人もの女の子が車を停めて出勤していました。

彼らは知っていたのでしょうね、夜になると何人もの女性が駐車場まで歩いてくることを。私も他の女の子も、駐車場で何度も露出狂の被害に遭っています。

 

と言ってもこの頃の私はイケイケですので、「おめぇのチン〇ちっせぇな!」と、こちらから煽っていました。

煽ると逃げ出す人が多かったですが、その中でもオナニーする姿をひたすら見せてくる人がいたので、最後まで見てあげたこともあります。

 

今思い返せば非常に危険な行為です。ただのアホでした。

 

 

私の中の最大の性被害、レイプ未遂

 

 

キャバクラの仕事の帰り道。彼氏が迎えに来ないことに腹を立てた私は、「いいよ歩いて帰るから!」と、暗い夜道を給料40万が入ったプラダのリュックを背負って帰ります。

 

小学校の正門からふらっと黒い影、私より身長の小さい男が出てきました。深夜2時近くです。

私は身長168㎝、当時高いヒールを履いていたので、180㎝近い身長でした。

私とすれ違ったときの男はとても小さかった。私の元の身長より小さかった。でも、

嫌な予感がして振り返ったときには、大きな熊のように見えました。

 

今でもその場所を車で通りますが、通るたびに正門を見てしまいます。本当は見たくないんですけどね。

 

2年前のブログにレイプ未遂の経緯を詳しく書いています。よろしかったらご覧ください。

 

この一件で、未遂とは言え、初めて性被害の恐ろしさを知りました。

暫くはすれ違う男性がみんな自分を襲うような感覚になり、夜道を1人で歩けなくなりました。

昼間でも、歩いている男性と距離を取るようになりました。

 

 

現在も夜道を歩く時は、繁華街だろうがどこだろうが、男性とは無意識に距離を取ります。

 

 

43歳になるババァを誰が襲うんだよ、って話なんですが、あのレイプ未遂は本当に怖かった、脳裏に焼き付く忘れることのない恐怖、だから無意識に防御態勢を取ってしまうのです。

この防御反応は一生続くと思います。

 

あの男性のやったことは許せない。そう思います。
ただ、2年前のブログにも書いてありますが、あの男性がもし「性依存症」だったら……?と考えると、複雑な思いになります。

 

もう結婚して子供も大きくなっているかもしれない。果たして性依存から脱却できただろうか?大きな性犯罪を犯していないだろうか?幸せだろうか?そんなことを考えます。

 

 

過去を振り返ると……

 

 

平日の学校終わりに高台に居た「おじさん」は、仕事をせずに何をしていたのだろう?生活保護?不労所得があった?地主や大金持ちで時間を持て余していた?など、色々と考えます。

 

あのおじさんが、私の「性」へのハードルを下げた一つの“要因”です。原因ではありません。あくまでも要因だと自己分析しています。

 

援助交際へ走ったのも、盗撮犯や露出狂に自ら煽って絡んでいくのも、レイプ未遂犯を裸足で追い掛けるのも、普通の行動じゃないんですよね。

 

こうした「認知の歪み」が、過去の私を形作っていた。

その歪みが少しずつ、受刑生活を通して直ってきた、まともになってきた。

 

そんなふうに今は思います。

 

まとまりが悪いですが、今日は私が過去に受けてきた性被害を書きました。

お見苦しいところ、多々あったと思います。
長々と読んでくださって、ありがとうございます

 

 

巧妙な詐欺に注意してください!今の時代は全てを疑え!

 

 

誰でも知っている人だから、会社だから、サイトだからって、全てを信じないでください。

このツイートがとても良い一例です。犯罪に加担してからでは手遅れです。

いつもお伝えしていますが、自分で取捨選択できる目を、知識を養ってください。悲しいですが、情報弱者が痛い目を見る世の中です。

 

衰えは素直に受け入れよう……

 

 

昔から顔の右側に黒子があったのですが、年々大きくなり、なんと!3ミリに成長しました!(笑)

老化です。
受け入れよう、衰えを。

炭酸ガスレーザーで除去しましたが、痕が残らないようケアするのが結構面倒です……。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。

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