Column

簡易精神鑑定 #3

共依存(イネイブラー)

前回のブログでは、茨城県立こころの医療センターで簡易精神鑑定を受け、依存症だと診断されたところまで書きました。

「私はどうすればいいんですか?」という質問に、先生は依存症専門の病院があると教えてくれました。
窃盗癖をクレプトマニアと呼ぶことを初めて知り、クレプトマニアの治療をするなら、赤城高原ホスピタルへ行ってみるといいと教えてくれました。

留置場への帰り道では、同行の警察官にもいろいろ質問をしました。
覚せい剤で逮捕される人のほとんどがこの依存症であろうということ、再犯する人がとても多いということを教えてもらいます。

公判を待つ間に考えます。依存症は完治しない病気。まずは病院へ行きたいと、夫と母へ手紙を書きます。

面会ですが、母も夫も2回 「しか」 来てくれませんでした。今は面会に来てくれたことがどれだけ有難かったかと思いますが、あの時はそう考えることができませんでした。

公判で懲役1年、執行猶予3年の判決が下ります。証言台で判決を聞いてその場で解放されますが、とても変な感じがしました。このまま外に出ていいのかな…そんな風に考えたのをよく覚えています。

警察署まで一旦戻って、荷物をまとめて帰宅します。

ここから母と私の関係が一気に悪化します。
私がこうなったのは母のせいだ、そう考えるようになります。なんで私を産んだの?私がこうなったのは育て方が悪かったあんたの責任だよね?

母を罵倒しました。今まで自分がまともに育ててもらえなかった怒りを思いっきりぶつけました。

そして手を上げました。今まで自分が受けてきた理不尽をあんたが今度は味わえと、これでもかというほどぶつけました。悪いと思うなら死ね!とも言いました。

自己紹介に少し書きましたが、両親はすでに他界しています。

これからは親について、特に母親について書いていきます。
小学校低学年で、しょっちゅうパチンコ屋に連れて行かれたことだけは書きましたね(笑)

私は母をとても憎んでいます。そして矛盾するかもしれませんが、産んでくれたことを今は心から感謝しています。

留置場では自分が依存症である現実を突き付けられたわけですが、外に出てから何のアクションも起こしませんでした。
あんなに衝撃を受けたのに、何とかしなきゃと真剣に思ったのに、行動に移すことをしませんでした。

次回はその理由について書いていこうと思います。

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

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