Column

病名を言い訳に使わない

ギャンブル依存症

前回のブログではさらに減薬を申し出たこと、睡眠に対して完璧を求めていたけれど、「こんなもんなんだ」と思えるようになったことを書きました。

受刑生活が始まって9ヶ月が経過しました。立川拘置所で向精神薬を減薬し、さらに考え方がまともになってきました。

このころの私は、信田さよ子さんの本で自分が依存症であること、AC(アダルトチルドレン)であること、夫や母と共依存の関係にあること、母が毒親であったことを理解しています。

自分が“依存症という病気だから”破滅的な行動を起こしてしまうんだ、それが理解できたときにとても安心したのを覚えています。

私だけじゃないんだ!
やめたいのにやめられない人が私以外にもいるんだ!
意志が弱い人がなるわけじゃないんだ!

自分の破滅的な行動に病名が付いたこと、正体が見えたことに安心したのです。

ですが残念ながら、病名がついて正体が見えてそれで解決!とはなりません。
その先には自分を見つめなおすという辛い作業が待っています。

どんな病気も、それを言い訳にするようなことをしてはいけないと私は考えます。これは依存症だけではなく色々な病気で置き換えることができます。

まず私で例えていきます。
私は薬物依存症でクレプトマニアだから、覚せい剤をやってOD(オーバードーズ)して物を盗むのはしょうがないよね、となるでしょうか?

双極性障害だから、躁のときに買い物をしまくって散財しても仕方ないよね、となるでしょうか?

解離性障害だから、違う自分のときに他人に暴言を吐いたり傷付けたりするのは仕方ないよね、となるでしょうか?

発達障害で相手の気持ちを察することができない、会話が噛み合わない、だから周りの人が自分に合わせるべきだよね、となるでしょうか?

人生の半分を刑務所で過ごす女性が、私は依存症だから覚せい剤をやめられないのは仕方がないと開き直っているブログを以前書きました。
依存症は完治しない病気。だから彼女の言っていることは決して間違っていないけど、そうやって開き直っている人間に決して幸せはやってこないと思います。

診断がついても、結局生きづらさは変わらないんです。
その診断を水戸黄門の印籠みたいに振りかざしても、人は離れていくし孤立するでしょう。

自分の病気や不都合を振りかざして正当性を訴えたところで、自分が辛くなるだけです。

私は依存症で、この病気になったことで刑務所へ行き、この病気を受け入れることで生き方を変えることができました。視野がとても広がりました。

自分に正直になって、自分を受け入れて、とても辛い作業ですが時には人生を見つめなおしてみてください。

過去を踏まえ整理しとらわれることなく、「今」を生きてください。

皆さんにはどうか病名を言い訳にせず、自分の人生を豊かにする方法を探していただきたいです。

そして皆さんの人生がより豊かになるきっかけに、力に、このブログがなれば嬉しいです。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

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