Column

何のために○○をやめるのか?

共依存(イネイブラー)

前回のブログでは病名を言い訳にしたり、診断名を他人に振りかざして生きても、決して幸せにはなれないということを書きました。

今日は依存症のみなさんにお聞きしたいことがあります。

“みなさんは何のために○○をやめているのですか?”

○○にはご自身が依存しているモノをあてはめてください。この質問に即答できる方はいらっしゃるでしょうか。

私の場合は薬物・処方薬(向精神薬)・窃盗・ギャンブル・買い物・自傷になりますが、数が多いので一番の問題である向精神薬で考えていきます。

受刑して間もないころは「二度と刑務所に戻らないために」、「ODをしているころの自分が酷い人間だったと理解できたから」、「夫のために」処方薬依存をやめようと思っていました。

夫のためにやめると思っていた私に、こんな考えがよぎります。
「20年間も依存してきた薬を断っているのに、超がんばってるのに、全然褒めてくれないんだね…」

私の受刑中も出所後も、夫の依存症への理解はほとんどありませんでした。依存症は甘え、意志が弱い人の言い訳、依存症とうつ病の違いが分からないといった認識でした。

仮に夫がとても褒めてくれたとして、それが続けば「夫に褒めてもらえて嬉しいからやめている」となるでしょう。ですがそれはそう遠くない未来に、夫のために「やめてやっている」という考えにすり替わってしまうのではないかと思います。

あなたのためにやめているのに、という考え方はとても危険です。

我慢して苦しいときに、たくさんの葛藤が出てくるように思います。

私は何のために薬を飲まずに頑張っているんだろう……
向精神薬をやめてどんなふうに生きていけばいいんだろう……
断薬しても結局うまくいかないじゃん。この辛さを分かってくれないじゃん。

そんなふうに考えてスリップしてしまいがちです。

このときにちょっと立ち止まって考えたいのは、支援する側も一緒に回復中だということです。
支える側の家族や支援者もどうやって回復していけばいいか、同じように模索して葛藤している時期だと思います。

このころに私と夫は依存症について、初めて一歩踏み込んだ話し合いをしました。

私の主張→依存症は意志の弱い人がなるものではないし甘えでも言い訳でもない。回復を続けながらこれからも生活していきたい。依存症という病気を完全に理解してとは言わないから、せめて知ってほしい。

夫の主張→またメンタルクリニックへ行くことで薬を大量に貰ってODするんじゃないか?信じたいけど過去にたくさん嘘をつかれた記憶がよみがえる。どうしても疑ってしまう自分の気持ちも考えてほしい。

こうした話し合いを繰り返し、依存症者と支援者が少しずつ理解しあっていくことも「回復」です。

今現在の夫がどの程度依存症を理解しているかですが、そこまで深く理解はしていません。彼の人生で何かに依存してコントロールできなくなったことが一度も無いので、本を読んでも私の話を聞いても共感することはできないのです。

刑務所で受刑したことがある元受刑者の家族でさえ、なかなか理解できないのが依存症という病気です。

誰かのために依存している○○をやめる、はじめのうちはその理由でもいいかもしれません。

やめる、やめたいと思えるきっかけは大切です。

私は依存症で苦しんでいるみなさんへ、どうやってやめることができているか、回復を続けられているかをお伝えすることはできます。

依存症の最後の回復ステップは、生き方を見つけ続けることだと私は思っています。

最後に私が何のために向精神薬や窃盗、ギャンブルをやめているか?の答えですが、

“依存症で苦しんでいるみなさんの道しるべになりたいから”です。
“元受刑者や現在受刑している人の勇気になりたいから”です。
“依存症者を支える家族の、支援者の力になりかいから”です。

こんなにたくさんのモノに依存している私でも、やめ続けることができるんです。

依存症の人も、依存症者を支えるご家族も、焦らずゆっくり進んでいきましょう。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

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