Column

自殺と自傷を経た底つき

ギャンブル依存症

前回のブログでは、ある女性が刑務所で輝いて見えたこと、そのことに違和感を感じたと書きました。

突然ですが今から16年ほど前に、私は自殺を試みたことがあります。25歳から26歳くらいの間ですね。確実に死のうと思い、超大量のODをして湯舟に浸かりました。そして気が付いたら、病院のベッドの上で手足を拘束されていました。

結局死ななかったので、今こうしてブログを書くことができています。(笑)

腕以外はほとんど刺青が入っていますが、これはリストカットと同様の立派な自傷行為だったと分析しています。

35歳のときに向精神薬のODによる窃盗で逮捕され始め、刑務所へ行くことになったのは36歳のとき。出所したのは38歳です。

向精神薬で人生がおかしな方向へ進んでしまった私は、向精神薬の恐ろしさを他の人に伝えたいと思うようになりました。

私は向精神薬を飲むことを否定はしません。
なぜなら向精神薬は生きやすくなるよう、生活しやすくなるように“補助”してくれるアイテムだからです。
ですがそんな補助アイテムに依存しすぎて、人生が狂ってしまった人間がここにいるということを、このブログを読んでくださる皆さんには知っていただきたいと思います。

出所直後は「昔の私のような人が一人でも減れば…」という漠然とした思いで2つ目のTwitterのアカウントを作りました。

男女問わずODしている人や、いわゆるメンヘラさんを片っ端からフォローしました。
ODをする人にはその危険性を伝え、死にたいという人を止めて励ましていた時期があります。

ですがそのアカウントは削除しました。

死にたいとツイートする人の多くはかまってちゃんで、自分を変えようと努力しない人が多いと気付いたからです。

覚悟を決めてこのブログを始めてから、5か月が経過しました。
現在の依存症子のアカウントでは、そういうツイートには一切触れないようにしています。見てはいます。が、触れません。

冷たいかもしれませんが、死にたければやってみればいいんです。
もし本気で止めたいなら、その人の人生を自分も背負うくらいの覚悟がないと、中途半端に介入しても本人のためにならないと今は思います。

自分のやってきたことに責任を取るときはいつかやってくると、以前のブログに書きました。

その責任は自分が取るのではなく、自分が大切に思う家族が取る羽目になるかも知れないということを、常に考えながら皆さんには生活をしてほしいなと思います。

アルコール依存症の親の元に産まれた子がアルコール依存症になってしまうのは、とてもポピュラーです。

ギャンブル依存症の親の元に育った私は、ギャンブル依存症です。

機能不全の家庭に育った私は、機能不全な家庭を作ってしまいました。

両親がやってきたことの責任を、今私が取っているんだと考えています。

現在は自身の経験を皆さんに伝えられるくらい依存症は回復しています。人生の軌道修正もできるようになってきました。

このブログで何度も書いていますが、私は皆さんにどうやって回復し続けているかをお伝えすることはできます。

ですが行動に移すか、実践するかは依存症者次第です。

これは支える側にも同じことが言えます。
依存症者の依存症行動を助長するような支えかたをしていませんか?その支援は本当に依存症者のためになりますか?

本人が痛い目を見ないと、他人が何を言っても聞く耳を持ちません。

それがいわゆる「底つき」なのです。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

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