前回のブログでは、栃木刑務所の運動会に参加したこと、立川拘置所では矯正指導日と呼ばれていた勉強の日が、栃木刑務所ではSAという自主性を重んじる教育に変化したことを書きました。
今日は私のモノの見方や考え方について書いていきます。
「男運がなくて~」という人がいたとします。
私からすればあなたの見る目が無かったのです。あなたとその男性が似た者同士だから、その男性とくっついたということです。
類は友を呼ぶという言葉があります。
私が今現在、実際にお会いしたり話をする人にはネガティブな人は一人もいません。目標に向かって進んでいる人、何かに挑戦している人ばかりです。
では刑務所に行く前、依存行動が激しいころはどうだったでしょう?
あのころの私の周りには、同じ薬物依存症やギャンブル依存症の人、昼夜逆転の生活を送る人、いつも死にたいとかネガティブなことを言う人“しか”いませんでした。
そして怖いのは、気付かないうちにそういう人たちに“自ら近付いていた”ということです。
以前ブログに書きましたが、ネガティブも怒りも他人に伝染するんです。しかも物凄い勢いで。
これからの人生を良くしたい!前向きに生きたい!と思ったなら、そういうネガティブな人とは距離を置いた方がいいです。
あなたの人生に決していい影響を与えないのだから。
最近はファッションメンヘラなるものが存在します。(メンヘラとはインターネットスラングで、病んでいる人、心に何かしらの問題を抱えている人という意味です。)
ファッションメンヘラとは、実際は精神的病気でも何でもないのに、自己表現やアピールのためにメンヘラを装う人のことを指します。
Twitterの自己紹介の欄に、医師から正式な診断を受けたわけではないのに、精神疾患をびっしり書く人がそれにあたります。
それは依存症界隈でも同じことが起きていて、「私は依存症なの、かわいそうでしょ」と依存症を装う人がいます。
死にたいと発言したり、精神疾患を装って人の目や関心を集めたい人は悲しいですが一定数存在します。
言い方を変えれば、「死にたい」と発言して誰かに止められることで、自分の存在を確かめているのです。そういうことでしか自分の存在を確かめられない人もいるのです。
私は善人ではないのではっきり言いますが、「死ぬ」や「死にたい」は最大の脅し文句だと思っています。
ファッションなのか本気で苦しんでいる人なのか、ネットでは見分けるのが非常に難しいです。
難しいですが、その人の言っていることに一貫性があるか、行動が伴っているか、どのようなことに葛藤しているのか、深く見ていけばある程度見分けられると私は思っています。
生きるということは、自分という木を生涯かけて育て、大雨や台風でも倒れることのない“大木”にしていくことです。
生きているんです。時には枝が折れたり、弱ったり、地盤が緩むこともあるでしょう。
ですが強固な根を深く張れば、ちょっとやそっとの出来事では倒れることも枯れることもありません。
普段から観察していれば、病気になっても早期に対処できます。
自分が芯をしっかり持っていなければ、おかしな人たちに感化され、いずれ堕落します。そしてそのおかしな人たちに自分の貴重な時間を割くことほど、無駄なことはありません。
傷の舐め合いや足の引っ張り合いをしていても何も始まらないし、むしろ後退するだけです。
本当の“支援”は傷の舐め合いではないですから。
9月20日に受けた資格試験に無事合格できたことを、この場を借りて報告させていただきます。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。