Column

刺青とともに生きるということ

コラム

前回のブログでは、部屋の汚さと精神状態について書きました。

今日は私の刺青への考え方について書いていこうと思います。

今までのブログでは刺青について自分の意見を書いたことはありませんでしたが、昨年大晦日のボクシングの試合で井岡一翔選手のタトゥーがTwitterで話題になりましたので、ここで私と刺青について触れておこうと思います。

まず私の刺青を見てください。20代後半のころ撮影したもので、作品としてはまだ未完成です。

何がきっかけで刺青を入れたの?という疑問を皆さん持つと思いますが、亡くなった父が桜がとても好きだったからというのが理由の一つです。ほかにも理由はあったかも知れませんが、正直あまり記憶がありません。

以前のブログでも書いていますが、ここまで広範囲に入れ続けてしまったのは、自傷行為の一つだったと分析しています。

彫るのに相当な時間とお金がかかり、もちろん痛みも伴います。彫った次の日は熱が出たり身体が怠かったりします。そんな痛み、苦しみ、不快感に耐えている自分がかっこよく感じました。“今を生きている”感じがしたのです。

自分を傷付けることに快感を覚え止まらなくなります。
私にとって刺青を入れることはリストカットやアームカット、レッグカットと同じような感覚です。中二病のような精神的な幼稚さも間違いなくありました。

刺青が完成したのは、依存行動が一番激しかった30~32歳のころだったと記憶しています。
「記憶しています」という曖昧な書き方になってしまうのは、睡眠薬や精神安定剤の飲み過ぎで記憶がほとんど無いからです。

完成している現在は左足、右足、右肩少し下までがっつり刺青が入っています。

私にどれくらいの刺青が入っているか皆さんに知っていただいた上で、日本の入れ墨の歴史を簡単に書きます。

日本の入れ墨の歴史は古く、縄文時代や弥生時代からあったとされています。江戸時代では徳川吉宗が罪人に罰として入れ墨を施す「墨刑」を採用しました。このことから日本では“罪人=刺青”という認識があるのかなと思います。
罰としての「入れ墨」と芸術表現としての「彫りもの」は全く別物です。
徳川家斉の時代には肌を露出する鳶・飛脚・火消しなどの職業に就く人はこぞって入れ墨を入れました。流行した時代もあったのです。
明治維新以降に入墨刑が廃止され、装飾用途の入れ墨を入れる行為を禁止しましたが、戦後に再び合法化されます。

 

私は全身に刺青を入れてしまったことを後悔しています。ここまで入っていると消すことができません。具体的にどのような理由で後悔しているか理由を挙げていきます。

・温泉やスーパー銭湯に入れない
・プールに行けない
・スカートを穿けない
・半袖やノースリーブを着れない
・健康診断や産婦人科などで驚かれる
・制服に着替えるような職場で働けない

生地や色が薄い服は透けてしまうので着れなかったり、刺青が見えないように動いたり、ゴルフに行けなかったり、当然生活に支障が出ます。

MRI検査が受けられないという間違った意見が散見されますが、それは昭和初期に用いられた金属が多く含まれる顔料を使っている場合です。私は普通に検査を受けることができますし、痛みも何も感じません。

堂々と見せて歩けばいいじゃん!そう思う人も中にはいらっしゃるかも知れませんが、私にはそれはできません。

ここは日本です。いくら「海外ではタトゥーはファッションで……」と言ったところで、自分が住んでいるのは日本なのです。

入れ墨が罪人に入れられていた時代も、流行した時代もどちらの歴史もありますが、現代では嫌悪する人が多いのは事実です。

始めに書いた井岡選手のボクシングの試合の記事から引用させてもらいます。

私はこの記事に登場する、佐藤洋太さんのコメントにとても共感しました。

『やっぱり知らない人が入れ墨を見たら怖いと感じると思うんです。人は知らないことを恐れると言います。その最たるものが死であると。それと同じ理由でよく分からない入れ墨って怖い。どんな人か分からないし、あまり目にすることもないし、どうやって入れるかも分からない。だから怖い。怖がる人がいるんだからそこも気遣いですよね。』

いくら「ファッションだ!」という主張をしても、嫌なもは嫌だし怖いものは怖い。そう思うのは自然なことだと思います。

自分が好きで刺青を入れたのです。入れた刺青に最後まで責任を持つべきです。

刺青が入っている人はそうでない人に対して、気遣いが必要だということです。

私ができる気遣いは、とにかく刺青が見えないように隠すこと。
足つぼやエステなど、肌を見せるときは自分に刺青が入っていることを予めお伝えしています。それで入店を拒否されるならもちろん従います。

施術する側は刺青など珍しくないかも知れませんが、施術を受ける側のお客さんが不快な思いをすることは絶対に避けたいですし、私が居ることでお店が風評被害にあう可能性が0ではありません。

「あのお店は刺青が入っている人が常連です」なんて口コミが書かれているところには、刺青が入っている私でも行くのをためらいます。

両方経験しているからかも知れませんが、刺青と犯歴は似ていると私は思います。

私が裸にならない限り、刺青が入っているとは分かりません。
私が自己申告しない限り、元受刑者と知られることはありません。

今現在私がお付き合いしている人で、刺青と受刑歴を知る人はごく少数です。
その方たちは知る前も知った後も変わらぬ態度で接してくれます。そのことに心から感謝しています。

刺青も受刑歴も知らない人に対して、私から積極的に告白することはないと思います。

私の過去を知ったことで、相手が嫌な思いをするかも知れないからです。

自分でコントロールできない、他人が持っている負のイメージ、印象をあえてテーブルの上に出すことはしません。

そうすることが“気遣い”だと私は考えます。

刺青と受刑歴が知られたとして、相手がそれをどう受け止めるか分かりません。
「やっぱりね…」、「これだから元犯罪者は…」、「そういうことか…」、「道理で…」となるか。

「そんなことは関係ないよね」とか、「それを知っても依存さんとのお付き合いを続けます」となるか。

私は後者の方を目指していますし、日々の努力次第で変化するものではないかと思っています。

これから“依存症子”として活動していくにあたり、現在お付き合いしている人に刺青や受刑歴が知られてしまうことがあれば、私の過去をきちんとお伝えしようと決めています。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

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