前回のブログでは、私の刺青への考え方について書きました。
今日は忍耐と我慢について書いていきます。
まずそれぞれの意味を三省堂の辞書から引用します。
忍耐→苦しみ・辛さ・怒りなどをじっと我慢すること。自分に不都合なことなどを人にされても暴力的な仕返しをしたり現実逃避したりしないこと。
我慢→精神的・肉体的に苦しいことがあっても意地で凌ぎ通し、弱音など吐かないこと。耐え忍ぶ、こらえる、辛抱。自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。
突然ですが、夫は「我慢が美徳」と考える古いタイプです。
夫の部屋にエアコンがないので、今時期は寒さを我慢して電気ブランケットと小さなセラミックヒーターでテレワークをしています。
暖かいと眠くなるからと夫は言いますが、昔から贅沢が嫌いだった夫は、何かを我慢して物事を成し遂げた方が達成感が大きいと思っている節があります。
私は暑くても寒くても仕事の能率は下がると思っていて、我慢してまでその環境に身を置く必要はないと考えるタイプです。
夫は暑さ寒さを我慢して仕事をすることが苦ではないわけですが、私にとってはかなりの苦痛です。
「俺が我慢してるんだから症子も我慢しろ!」と言ったとしたら、自分の考えを私に押し付けているだけで、そこに私への配慮は見えてきませんよね。(幸い夫はそういう理不尽なことを言う人間ではありません)
私の受刑中に夫は手紙で「我慢しなさい」、「我慢することを覚えなさい」ということをひたすら言い続けてきました。
ですが受刑当初の私にはあまりピンとこなかったんです。「我慢ができない人間だからここに(刑務所に)来ちゃったんですけど?それができたら苦労しないわ!!」
受けとりかたがひねくれていますよね。(笑)
我慢なんて子供でもできるもの、そんなこともできないいい大人の自分はダメ人間、我慢が得意なあなたから上から目線でお説教されるのはもうたくさん!こんな感じで自虐的、投げやりになってしまった時期があります。
そこで注目したいのが「忍耐」という言葉です。
受刑者は現実逃避から罪を犯し、刑務所に服役しています。依存症者も現実逃避から依存行動に走ります。
再度「忍耐」の意味を書きます。
苦しみ・辛さ・怒りなどをじっと我慢すること。自分に不都合なことなどを人にされても暴力的な仕返しをしたり現実逃避したりしないこと。
受刑者にも依存症者にも必要なものは、“我慢”ではなく“忍耐”なのではないかと思います。
忍耐強い人間になるために何をすればいいか?私で例えます。
・私は嫌なことがあるとすぐに投げ出しちゃう。だから続けられるように頑張ってみよう。
・私は自分と違う意見の人を排斥しがち。だから「そういう意見もあるんだ」と受け入れてみよう。
・私は流されがち。だからしっかりとした芯を作っていこう。
・私は答えをすぐに出したがる。だから焦ることをやめて少しずつ進んでみよう。
私は刑務所で自分の短所・欠点を徹底的に見つめました。
幼少期までさかのぼり、どうして刑務所という場所に来ることになったのか、冷静に見つめ続けました。
刑務所で過ごす多くの人は、こんなことは考えません。
「早くここから出る」ことは考えても、出所後の人生をどう生きるか、何をすればいいのか考えることをしません。
だから累犯が存在するのです。再犯を繰り返す人がたくさんいるのです。
受刑者に想いを伝えるのは容易なことではありません。面会時間が少ないので、受刑者も面会者側も感情的になりやすいです。特に手紙では思っていることが伝わらないのがほとんどでしょう。
受刑者のご家族、ご友人には忍耐強く受刑者を導いていただきたいです。
「我慢しなさい」と頭ごなしに押さえつけず、「忍耐強くなれるように一緒に頑張ろう」と諭してあげるほうが、受刑者も受け入れやすいのではないかと経験者の私は思います。
夫からの手紙で今でも忘れられない一文があります。
「俺はこれからもどんどん前へ進んでいきます。進むスピードをゆっくりにすることはできるし手も差し伸べるけど、その手を掴むか離すかは症子次第です。」
この手紙が届いたときは「あっそ、私を見捨てるのね」と思ったのですが、自分を見つめる作業をしていくうちに、とても大きな優しさだということに気付いたのです。
厳しさの中に優しさがある、そんな一文だと思いませんか?
私が刑務所でとことん自分を見つめようと思ったのは夫の導きのおかげであり、二度と刑務所へ戻るもんか!という強い想いがあったからです。
私一人ではここまで成長することはできなかったと思います。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。