Column

逃げてもいい、でも投げ出さない

コラム

前回のブログでは忍耐と我慢の違いについて書きました。

大事MANブラザーズバンドの「それが大事」という歌を知っている人は多いと思います。1991年の曲ですが、応援ソングとしていまだに人気がありますね。

『負けないこと・投げ出さないこと・逃げ出さないこと・信じぬくこと、駄目になりそうなとき それが一番大事』

立川拘置所の工場に就業しているとき、余暇時間に観ていたテレビでたまたまこの曲が流れました。昔は何とも思わなかった曲ですが、あのときの私には心に染みたというか……今後の自分に必要なことを歌っているなと思いました。

なぜそう思ったかですが、私はそれまでの人生で嫌なことを投げ出し、逃げ続けてきたからです。

だから刑務所へ来てしまった、そう自分で理解していたからです。

受刑したてのころの私は自暴自棄になり、「どうせ私なんて」という気持ちがとても強かったです。その割に反省などしていないという質の悪いパターンでした。

「はいはい、私の生き方が悪うございました、だから刑務所に来ちゃったんですけど。じゃあどう生きれば良かったか教えてもらってもいいですか?こうなったのは家庭環境のせいもあるんだから仕方なくないですか?そんなに私を責めるならこれから具体的にどう生きて行けばいいか教えてもらっていいですか?」

↑言葉に表すとこんな感じです。これを見て皆さんどう思いますか?

・反省していない
・開き直っている
・何こいつ……

こんな感想が出てくるのではないかと思います。

お恥ずかしながら、これでも当時の私はとても真剣に考えていたんです。真剣に考えているのになぜこのような言葉が出てきてしまうのか書いていきます。

私はずっと物事を投げ出して生きてきたので、「反省の仕方が分からない」、「責任の取り方が分からない」大人に成長していました。

悪いことをしても咎める人がいないということは、自分が他人から距離を置かれている証拠です。「あの人と関わりたくない」と思えば注意などしませんよね。

それを私は勘違いし、「許してくれている」とか「これでいいんだ」、「間違っていないんだ」と認識していました。

自分が怒られないのはヤバい奴だと認定されて、関わりたくないと思われているからなのに、壮大に勘違いしていたわけです。

なんでそんな勘違いができるの?と思う方が多いと思いますが、ずっと夜の世界や風俗の世界に居ると感覚がどんどんおかしくなっていきます。

大人になるということはルールを守って生きるということです。そのルールが比較的甘い商売の世界にどっぷりと長く浸かっていた私は、常識知らずで無知な大人になっていったというわけです。

刑務所に行く人と言うのは私のように無知だったり、先のことを考える力がない人です。

例えば、ニュースを観れば詐欺は一発実刑だと分かります。それでも手を出す人が多いのは、指示役が言葉巧みなせいもありますが、結果的には本人が無知だからです。

今簡単にお金が手に入ってもその先どうやって生きて行く?と考えることができないから、安易に犯罪に手を染めるのです。

そういう考える力を奪っていくのが依存症だったり、悪い人間関係だったり、現実逃避だったりします。

昔の私のような考え方をしている受刑者の方、いっぱいいると思うんです。支える側からすれば「なんでそんな言い方しかできないんだ」と思うでしょう。

責任の取り方や反省とは、誰かに聞いて実行するものではありませんよね。

自分で考え決めるのです。

そして受け手によって反省の形も責任の形も違います。正しい答えが一つとは限りません。

そのことに受刑中に気付けるか、気付かせることができるかです。

よし!これからは逃げないで立ち向かう!物事を投げ出さずに生きて行く!
そのように決心し、無事仮釈放となります。

出所から4年が経過しました。今の私は少し考えが変化しています。

「逃げたっていいよね、投げ出すことをしなければ。」

逃げないと決めてしまうと、自分が苦しくなるときが必ず来ます。
その苦しみに耐えることで、自分が傷付いたり、死にたくなってしまうなら、逃げた方がいいです。

ただ絶対に投げ出さない。

いじめを受けているならその場から逃げればいい。でも勉強をすることは続けよう。
ブログを書くのがちょっとしんどいから間隔をあけよう。でも書くことは続ける。
部屋の掃除がめんどくさいから今日はいいや。でも明日はきれいにしよう。

人間は強くありません。時には逃げたっていい。

だけど投げ出さずに向き合うことは続けよう、今の私はそう考えています。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

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