Column

依存症子の失敗するパターン

共依存(イネイブラー)

前回のブログでは近況報告と、立川拘置所で進藤龍也牧師の講話を聞いたときのことを書きました。

私は今こそ比較的まともな日本語を使ってブログを書いていますが、過去の私の言葉遣いはそれは酷いものでした。
今も夫と感情的な喧嘩するときなどはべらんめぇ口調になりますので、私の性根の部分と言うか、育ちの悪さを変えるのは難しいなと感じます。育ちの良さというものは滲み出てくるものであって、決して取り繕うことはできないんですよね。

私はこのブログで思っていることや考えていることをお伝えするとき、とにかく丁寧に感情の移り変わりを書くことを心掛けてきました。ですが丁寧さを心掛けるあまり、過去の私の感情や、思ったことまで丁寧化されてしまっていることに気付きました。

それだと読んでいる方が「昔からちゃんとできる人だったんじゃない?」と誤解をしてしまうのではないかと思いました。

ですので前回のブログでは、ビートきよしさんや小松政夫さんの講話を聞いたときに、私が思ったことを、あのころの私の正直な言葉で書いてみました。

今後のブログで過去の回想が出てくるときは、そのときに思ったことをありのまま書いていくことにしました。お見苦しい言葉遣いにになることをお許しください。それをひっくるめて依存症子という人間だと、ご理解いただけると嬉しいです。


依存症子の良くないところ

私は今年42歳になります。42年間生きてきてたくさんの失敗をし、間違いを犯し刑務所へ行き、出所後は依存行動に走ることなく生活することができています。
過去を振り返り良くなかったところを挙げていくと、依存症子が失敗したパターンというものが見えてきます。それがどのようなものだったか、具体的に書いていきます。

ここで“良くないところ”と表記した理由ですが、それが時に良い方へ転化することもあるので、あえて弱点や欠点とは呼ばず“良くないところ”と書かせていただきます。

 

完璧主義

依存症者には完璧主義が多いと言われています。
私の場合、完璧からこぼれてしまうととことん怠惰になります。例えば「毎日決まった時間にブログを書く」と自分に課しているとします。そこで1日でもサボったりしてしまえば、その後全く書かなくなる、というものです。

完璧にこなそうとして目標設定をするのは良いのですが、それができなかった時にもういいや!となってしまいます。完璧とは欲なのだということに、最近気が付きました。

 

すぐに投げ出す

完璧主義が狂い始めるとすぐに投げ出します。
これもブログで例えると、毎日ブログを書くことを目標にしていて、1日サボったのならまた次の日から始めればいいのですが、そうならないのが依存症子です。

その目標が狂ってしまったことが許せないので、もういいやとすぐに投げ出します。
投げ出したことに罪悪感はあるものの、一度投げ出したことに向き合う心の強さは、過去の依存症子にはありませんでした。

 


0か100かの極端な思考

これも依存症者に多いように感じますが、考え方が極端です。
究極の二択や白か黒か!という感じで“中間”がないのです。例えば会社で嫌なことがあったとき「じゃあ辞める」とか、恋人と別れ話をすれば「死ぬわ」とか。聞いている方からすると「なんでそうなる!?」と突っ込みたくなるでしょう(笑)。

私が過去に大量の睡眠薬と向精神薬を飲んで、自殺を試みたときの理由は、愛してるとか好きとか別れたくないということではなく、「この男と別れたら住む場所ねぇし生きてけねぇな、それなら死ぬか」と考えたからです。
今考えれば生きていく手段は他にもありましたし、彼と離れることが辛いわけではありませんでした。それなのにいとも簡単に「死」という行動に移してしまった、自分がとても恐ろしいです。

(依存症真っ只中でしたので思考がまともではなかったことを付け加えておきます。)

 

自分の力量が理解できない

私は自分を優秀な人間だと勘違いしていました。
この理由ですが、高校生のころから援助交際やバイトで月20万以上の金額を稼ぎ、18歳から水商売の世界でそこそこの売上を上げていた私は、男性というものを完全に舐めきっていました。

私と関係を持ったお金持ちの男性たちは、“若い愛人を囲える財力がある”というステータスを楽しんでいただけなのですが、それが「私が優秀だから社会的地位の高い男と肩を並べられている」という歪んだ考えにさせていました。

そんな10代後半から20代を過ごしたお陰で、プライドだけがやたらと高く、実力もないのに自信満々で、傲慢な依存症子が出来上がりました。

 

早急に答えを出そうとする、結果を求める

依存症子は超せっかちで、今でもこのような傾向は若干あるのですが、とにかく早く答えを求めようとします。
仕事も勉強も基礎があって応用です。人生も経験を積み重ねて成長していくものですが、これを一段も二段も飛ばしていこうとするのが私です。

今年の頭にいくつかの資格試験に合格しましたが、この試験に落ちたりトラブルが起こったことで色々なものが見えてきました。落ちたことで見えてきた景色があったのです。
これも経験したから言えることですが、早く結果を出すことが人生にプラスになるかというと、決してそんなことはないということです。

 


これらが重なったとき、依存症子は失敗する

自分に実力があると思っているので勢いだけはあります。いわゆる“やる気のある無能”という非常に面倒臭いヤツです。自分はできる!できないわけがない!という謎の全能感がありました。

経験も実力もない人間が、何かを成し遂げられる訳がないのです。少し考えれば分かることなんですが、精神的に幼なかった依存症子には全く理解できなかったんですよね。

自分の力を見誤り、早く結果を出そうとして焦る。
その結果は散々で、完璧が崩れてすぐに投げ出し諦めてしまう。
そして極端な思考に陥り、自分は世の中から必要とされていないと悲観的になる。

これが依存症子の人生の失敗するパターンです。

 

パターンが分かれば対処ができる

私は上記のようなパターンに陥ったときに、依存行動へ突っ走ります。むしゃくしゃする気持ちを依存行動で発散します。バランスを取ります。

今の私は自分がどうなったら依存行動に走ってしまうか、とても良く理解しています。
依存行動へ走ったら失うものが大きいと分かっているから、理性がきちんと働いているからタガが外れることが無いのです。

今の私は、産業カウンセラー養成講座を受けながら、ホームページ作成の構想を練る。
週に1回のブログを更新しながら、皆さまからの相談を全力で受け止める。家の片付けをして少しずつ断捨離をする。

これが今の私のキャパなのです。これ以上詰め込んでしまったら、恐らく失敗パターンまっしぐらになってしまうと思います。

・完璧にやろうとしない、ブログはお休みしたっていいよね。
・逃げてもいいけど、投げ出す事だけはしないで生きて行こう。
・世の中にはグレーな部分があるよ、極端にならないように気を付けよう。
・自分の限界とキャパシティを知ろう。
・すぐに答えなんて出ないんだから、ゆっくり進もう。

失敗のパターンから良くないところを(弱点・悪いところも含めて)見つめる。
そうすれば自ずと対策は見えてくると思います。

人生を振り返る行為が後ろ向きだと捉える方がいらっしゃるのですが、先の人生を見据えて過去の自分を振り返る。これほど前向きなことはないと依存症子は思っています。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

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