Column

刑務所は小さな社会

共依存(イネイブラー)

前回のブログでは、他人を変えたいと思うならまず自分が変わる必要があると、私の実体験から書いてみました。

人の根底や性格は変えられないけど修正することはできる。そうすることで人生を生きやすくなるというのが私の意見です。

これには自分を客観的に見てくれる人、嫌われることを恐れずに間違いを指摘する勇気を持つ人、そういった存在が必要不可欠ですが、依存症者や人生を舐めて生きてきた人は(私を含めて)こういう大切な存在を自ら遠ざけてしまうところがあります。「うるせえな!」とか「うざい」ってやつですね。

月日が経ち「あの人はこういうことを言いたかったんだ……」ということが、受刑中や出所後にたくさん起こりますし気付きます。

本当に自分のことを思って怒ってくれたのに逆ギレしたり、反省したフリをしたり不貞腐れたり。
あのころの私は自分のことを棚に上げてばかりでした。他人の意見に耳を傾けるということを一切しませんでした。その結果、刑務所へ行くことになったのです。

犯罪を犯して刑務所へ行く人というのは、とても自分勝手だと私は思います。


外でも中でも人の本質は変わらない

刑務所での生活は受刑者皆が平等です。
同じ食事を食べ、睡眠時間・休憩時間・入浴時間・運動時間も全て同じ。衣類も日用品も生活に必要なものは全て貸与されますので、十分に生活することができます。
食事や時間が徹底的に管理される平等な生活の中にも差が生まれます。それは自弁購入が可能な日用品や衣類、私本の購入、外からの手紙だったり差入れ、面会です。

刑務所側が平等にしても、不思議ですが差が生まれていくんですよね。

そんな平等の中でも威張りたい、力を誇示したいと思う受刑者は一定数存在します。

威張り方や見栄の張り方も様々ですが、例えば物をたくさん買える(自弁購入できるお金がある)という見栄だったり、色んな人から差入れが来る、手紙が来るという“友人や異性関係が多い”自慢だったりします。

仮釈放前の受刑者を、釈放させないように懲罰へ持っていこうと妨害する質の悪い受刑者もいます。死なば諸共!じゃないですが、自分が懲罰になってでも仮釈放を妨害します。

受刑中は気付きませんし考えることもありませんでしたが、「犯罪者かそうじゃないかだけで外も中と大差がない」ということを出所後に感じました。

自慢して威張って人を貶める、そんな人は社会にもたくさんいますよね。実社会では刑務所のように平等ではないから尚更妬み、僻み、嫉みがすごい。

刑務所でも社会でも、根性がひん曲がった最低な人はいるもんだと、出所してから思いました。

 

共同生活で我慢を覚える

栃木刑務所に収監されて気付いたのは、他人との生活習慣の違いです。

最近ではシェアハウスが増えてきましたね。それに伴い共同生活が苦ではない人も増えたかも知れませんが、幼いころから一人っ子で部屋を与えられていた私には、共同生活はそれはきついものでした。

掃除をしない人、整理整頓できない人、ドアの開閉などの物音がうるさい人、くちゃくちゃ音を立てて食事をする人、細かいことに口を挟んでくる人、もう挙げ始めたらキリがありませんが、そういった人たちとの共同生活も、“犯罪を犯して懲役刑となった自分に課せられた罰”だと私は考えています。

こんな人たちとの生活なんて耐えられない!そう思っても後の祭りです。自分が犯罪を犯したから刑務所に居るのです。そこから目を逸らしてはいけません。

私は拘置所に収監された初めのころ、何で自分がこんな目に合わなきゃならないんだと涙したことがあります。そのブログが実刑判決から拘置所へです。

固まったままの冷めたうどんを食べ、水みたいな薄いお茶を飲み、「何で私がこんな不味いうどんを食わされなきゃいけないんだ!」と憤り、こんな所に居る自分に腹が立ち、悔しいし惨めで涙が溢れてきました。

私は幼いころから、我慢をするという言葉とは無縁の人生を送ってきました。
わがまま放題で、自分の思い通りに事が運ばないとすぐ不機嫌になり、他人に当たり散らして生きてきました。

こんなことは社会でも刑務所でも当然通用しません。でもでもだって、そんなことを言っていても何も前には進まないのです。

自分は罪を犯した、だから刑務所に居る。それを忘れているようでは(棚に上げているようでは)、本当の意味での更生はできないと私は思います。

私は刑務所で我慢を覚えました。我慢することの意味について考えるようになりました。

するとどうでしょう、今の生活がどれだけ幸せなのかを、心から実感できるようになりました。
そして当たり前だと思っていたことに、感謝ができるようになったのです。

人間関係では、刑務所よりも外の方が我慢をしなければならないことが多いです。

刑務所で我慢ができないようでは、その後の人生で困難にぶち当たったとき、対処することが難しいのではないでしょうか。

 

解決できない問題は起こらない

私が飲み屋のママになったときの話ですが、古株やお客様からとにかく虐められました。

まだ20代前半だった私に、白羽の矢が立ったことが面白くない古株とそのお客様に、散々悪口を言われたり頭を引っ叩かれたりしました。
「俺の担当が辞めさせられるのはお前がママになるからだ!」毎日いろんなお客様に言われ続け、ストレスで半身に帯状疱疹ができたほどです。

このときの私はすでに向精神薬のODやLSD、大麻などの薬物を使いギャンブルにものめり込んでいましたが、そのストレスから逃れる手段であったのは間違いありません。

水商売で働き始めてからの座右の銘が「解決できない問題は自分に降りかかってこない」というものです。
言い方を変えれば、「自分に解決できるからこの問題は起こっている」ということになりますね。

ママになったあと紆余曲折を経て、最低な人間となり栃木刑務所へ行ったわけですが、受刑中にふとあのときの事を思い出したんです。

「私が刑務所に来たことには必ず意味がある。乗り越えられるからこそ私は刑務所に居る。そうだよ、昔から私言ってたじゃん!解決できない問題は起こらないって!!!」こう考えながら受刑生活を送りました。

そして今現在、私は信念を持ち、目標へ向かって進むことができています。

あなたに今降りかかっている問題は必ず解決できます。

考えてみてください。例えばですが、今のあなたにオリンピックに出場できるタイムで100mを走れ!なんて難題は絶対に降りかかって来ませんよね。

あなたに解決できるから、その問題が起こっているのではないでしょうか?
その問題を解決する努力をすることで、今まで見えていたものとは別の景色が見えるかもしれません。

その問題があなたを強くし、成長させると依存症子は思います。

どうかこのブログが、刑務所で悩んでいる受刑者の方に届きますように、という願いを込めて。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

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