前回のブログでは刑務所は小さな社会であるということ、自分が犯罪を犯したから刑務所に収監されているという現実から目を背けず、まずその小さな社会の中で努力をしてみようということを書きました。
産業カウンセラー養成講座ですが、行きたくないなぁと思いながらもちゃんと通っています。
何で行きたくないの?と皆さん疑問に思われるかも知れませんので、一応理由を書いておこうと思います。
すでに私の経歴をご存知の方が多いとは思いますが改めて、私は最終学歴が高卒で依存症当事者、元受刑者の中年女性です。一般常識も決して備わっておらず、普通の仕事に就いたことがありません。
そんな私が長年しっかり社会人をされている方たちと、共に勉強をするわけです。産業カウンセラーになりたいと思う人は少なからず、人の心を理解したい、寄り添いたいと思う人たちです。
「ここに居る人たちは刑務所や犯罪とは無縁だよな……」という劣等感が起こってしまうのが一つ。あとは私の学の無さ、語彙の少なさから、意見交換に積極的に手を挙げることができないというのが一つ。
やる気はあるけど知識が付いて行かないので、「早く産業カウンセラーの受講日にならないかな♪」とは思えず、「明日は産業カウンセラーかぁ……」と億劫になってしまいます。
昔の私だったらとうに投げ出していると思いますが、今は「私はこういうことで行きたくないと思うんだ」と自分を客観視できることが成長した点だと、プラスに考えています。
少数派=弱者という風潮
最近は多様性やマイノリティいう言葉をしょっちゅう聞くようになりました。聞かない日はないと言ってもおかしくないかも知れません。
マイノリティの人に優しくしよう、偏見の目を持たないようにしよう、差別をなくそう、多様性を理解しよう、そういう時代の流れは悪いことではありませんが、その言葉の裏に色々な思いが隠れているように私は感じます。
依存症から話は逸れますが、LGBTQやXジェンダーを理解しようという動きが、ここ何年かでどんどん進んでいます。私もそこまで詳しくはありませんが、LGBTQ(エル・ジー・ビー・ティー・キュー)とXジェンダー(エックスジェンダー)について簡単に書きます。
L→レズビアン(女性同性愛者)
G→ゲイ(男性同性愛者)
B→バイセクシュアル(両性愛者)
T→トランスジェンダー(性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)
Q→クイア、又はクエスチョン(自らの性のあり方について特定の枠に属さない人、分からない人)
Xジェンダー→身体的性に関わらず、性自認が男性にも女性にも当てはまらない人
LGBTQやXジェンダーの方はマイノリティ(少数派)です。マイノリティですが、彼らが弱者かというとそんなことはありませんよね。
日本は少数派を弱者とする風潮があると私は思います。そしてそういう人たちの経験談を美談として称賛し、白か黒かの論争に持っていこうとしているように感じてなりません。
LGBTQで言えば、「カミングアウトは勇気ある行動」や「正しい行動」と賞賛する意見がある一方で、誰にも知られずに静かに暮らしたい、と思う人は居るはずです。そう思う方からすれば「これ以上騒ぎ立てないでくれ!」と思いますよね。
そういう人を生きにくくしてしまう現状を作っているのも、「マイノリティ=弱者」という間違った認識が、人の心の深いところにあるのではないかと私は思います。
分かってほしい、対等に向き合ってほしい
依存症に話を戻します。私は依存症のことをどんどん広めていきたいと思っています。
依存症は意志が弱いからなるものではない、誰もがなる可能性がある病気であると、これからも積極的に皆さんに伝えていきます。
私は受刑中に夫が依存症を全く理解してくれないことで、非常に苦しい思いをしました。
夫に助けてほしいと思うよりも、自分のことを分かってほしい、対等に向き合ってほしいのに、それが伝わらないことが(向き合ってくれないことが)苦しかったのです。
夫からすれば「はいはい、病気のせいにしてまた逃げるのね、そんな話は一切聞きません」となります。
私が夫を裏切り続けてきたのは事実で、私は依存症という病気のせいで、向精神薬を飲み過ぎ記憶がありません、本当にごめんなさい!で簡単に終わる話ではないんですよね。
私のやってきたことが酷すぎて、大きすぎて、夫なりに整理し許そうと思っても、到底受け入れられるものではなかったからです。
これは依存症者の我儘になりますが、依存症になったことを理解してほしい、自分と対等に向き合って欲しいと思うのです。
ですが多くの依存症者の場合、既にご家族や支える人にとんでもない迷惑をかけています。
嘘、裏切り、借金の肩代わり、吐瀉物の後片付け、暴力、家の片付け、次々にやって来る借金取りの対処、警察に逮捕されれば身元引受人となり、逮捕された理由を聞かされたときの絶望感。
こんな状態で理解してほしい、向き合って欲しいと言われても「いや無理でしょ」となるのが普通です。当然です。
以前のブログでも書いたことがありますが、これも依存症者とその家族の埋まらない溝です。
LGBTQと依存症者はマイノリティですが、決して弱者ではないと思います。
でも依存症者には、弱者ぶって自分がやってきたことを棚に上げる人が多いなと私は思います。昔の私がそうだったように。
対等に向き合って欲しいなら、分かってほしいなら行動に移しましょう。
それは相手に聞いて動くものではありません。だって相手も何をすれば許せるかなんて分からないのです。何をしても許せないかも知れない。未来のことは分からない。
自分で考えて行動し、それが正しいか間違っているかは、依存症者ではなく支える側に立つ人が決めることですから。
寄り添うことの大切さ、あたたかさ
多様性をWikipediaで調べるとこのように出てきます。
“幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる”
幅広く性質の異なる群が存在するなら、答えは一つじゃないのに、人はなぜか正解を求めたがるなと思います。
かく言う私も正解を求めたがる人間の一人で、どこかに正解があると思い込んでいるようなところがあります。
この人はこういう人と決めつけずに、柔軟性を持って人と向き合うのは、意識していても難しいものです。きっとそれが“相手に寄り添う”ということなのだと思います。
産業カウンセラーの勉強を始めてから、性別も年齢も職種も関係なく、多くの人とお話をするようになりました。それがとても新鮮で、私に様々な気付きを与えてくれます。
ブログの冒頭では「行きたくないなぁ」なんて書きましたが(笑)、この勉強が私のブログを読んでくださる皆さんの、勇気や力になると確信しています。
これからも私にできることを続けていきますので、皆さまどうぞよろしくお願い致します。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。