前回のブログでは、仮釈放の3日前に夫が迎えに来てくれることが分かり、2年以上会っていないので何の話をすればいいか分からず内容を考え続けたたこと、久しぶりに会った夫の後頭部が薄くなっていたことを書きました。
ホームページの運営は今月中にと思っていましたが、思ったより課題が多く来月になってしまうかも知れません。考えたもの、やりたいことを形にしていく難しさを感じています。
産業カウンセラー養成講座は今のところ無遅刻無欠席で通っています。
そんなの当たり前でしょ!と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、昔の自分だったらとっくに投げ出している自信があるので、こんなに頑張っている自分を褒めたいと思います(笑)。
7月18日で7回目の受講ですが、色々なことが良く見えるようになってきました。受講当初からどんどん変化していく皆さんを見て、自分のことのように嬉しく感じる反面、「皆さん成長されているのに自分だけ遅れを取ってしまうんじゃないか…」という不安があるのも事実です。
今日は前回ブログの続きを書いていきます。
依存症への嫌悪感を丸出しにする夫
夫は車で栃木刑務所まで来てくれました。私が作った借金のせいで車を売り払ったと思っていたので、久しぶりに見た車にも懐かしさを感じます。
帰り道では今までずーっと伝えたかった依存症について、私が立川拘置所と栃木刑務所で勉強を続けてきた内容を改めて伝えました。
私がこれまでやってきた覚せい剤、向精神薬、ギャンブル、窃盗、刺青や整形が止まらなくなってしまったのは「意志の強さとは全く関係のない“依存症”という病気のせい」だということを伝えました。
依存症という病気のせいにして、今までやってきたことをチャラにしてくれと言っているのではない、ましてや逃げたり投げ出そうとしているのでもないということも、しっかり伝えます。
依存症は一生完治しない脳の病気だから、治療を(回復を)続ける必要がある、治療のために依存症専門の病院に行かせてほしいと懇願しました。
私は相当熱心に話をしたと思います。今まで夫は1回も面会に来ていません。手紙で依存症のことを伝えても「逃げるな、甘えるな、病気のせいにするな、立ち向かえ」と、私からすれば依存症を全く理解していないような言葉が返ってきていました。
その理由について、直接会って話をしていないから伝わらないのだと思っていました。
だからちゃんと筋道を立てて話せば分かってくれる、夫なら依存症を必ず理解してくれると思っていたのです。
ですが現実はとても厳しかった。
横で運転する夫が、とても嫌な顔をしました。
これに私はとてつもなく絶望しました。
「これだけ伝えても分かってくれないんだ……」と。
気まずい雰囲気から自宅へ帰るまで
高速道路から一般道へ入り、車酔いが激しくなってきます。
私は三半規管が強い方ではないので、今でも低気圧になると頭痛や肩こりが起きたりするのですが、出所当日は本当に酷い車酔いをしました。途中で車を止めて吐きそうになったほどです。実はこれにはちゃんとした理由があります。
仮釈放当日に保護観察所に行かなくてはならない決まりがあり、担当の保護観察官、私、夫で面接をします。このときに「車酔いは大丈夫でしたか?」と聞かれました。
受刑者は何年も「高速で動くもの」を見ていないので、出所後そのスピードに付いて行くことができずに酔ってしまうことがあるそうです。電車や車に乗らない、見ていない生活が何年も続くと、脳や目の処理が追い付かなくなるということですね。慣れるまで数週間かかる人もいるみたいですが、私は数日で解消されました。
遅めの昼食を大戸屋でとります。累犯の受刑者が出所後は甘い物をたくさん食べたくなると言っていましたが、私はあまりそう思いませんでした。急に慣れない食べ物を暴食すると、身体がおかしくなりそうな気がして怖かったのです。
昼食後、お世話になった国選弁護人のY先生に会いに行きます。事務所に偶然いらっしゃってご挨拶することができました。Y先生は国選弁護人にもかかわらず大変精力的に動いてくださり、受刑直後に面会に来てくれたり、刑務所から送った手紙にも返信をくださるような方です。Y先生の心遣いには本当に感謝しています。
自宅へ到着したのは17時過ぎです。
久しぶりに見た自宅は物がほとんど無くなり、私が知っている自宅とは全く違うものになっていました。物が圧倒的に少なくなっていましたが、トイレや浴室などの水回りは夫が掃除をする時間がなかったのでしょう、本当に汚かったです。
私が今まで集めてきたブランド品、服、小物が全て売られて無くなっていました。母の部屋として使っていた場所はがらんとしていました。
お母さん、マジで私を捨てて出て行ったんだな……
そう実感したのも、この日でした。
夫の乱れた感情
この日の夜夫は私の身体を求め、私の意志を無視し、避妊をしませんでした。
私は言いようのない悲しみ、怒り、落胆、とにかく複雑な気持ちになりました。
この日のことを夫としっかり話し合い、お互いに整理したことを書いていきます。
夫の感情
夫は刑務所から出てきた私を見て、まず受刑前と顔つきが全く変わったと思ったそうです。それと同時にかわいいなとも思ったそうです。
今まで会っていなかった2年という時間が夫の心を揺らします。ここで俺が甘い顔をしていると、また症子がおかしな方向へ行ってしまう。断固として厳しい態度で接しよう、そう思います。
私は帰りの車の中で相変わらず病院に行きたいと言います。受刑前の私は“病院”へ行ったあとに、薬を大量に飲んで事件を起こしてきました。私の意見を受け入れる心の余裕は、このときの夫にはありません。依存症の病院も心療内科も精神科も、夫からすればどれも同じで私に害を与えるものだと認識していました。
夫の中に「病院=症子が言った通りの薬を処方する悪徳医師のいる場所」、「病院へ行く=再犯」という固定観念が根強くあるからです。
2年ぶりの再会であらゆる想いが同時に湧き上がります。忘れようとしていたこと、封印していた事柄が思い出されます。
夫という人がありながら、風俗で働き不特定多数の男性を関係を持つ私。家族カードで散財し、買ったばかりの車は薬を飲み過ぎた私の運転で見事に廃車、借金を負わされた挙げ句、捕まりまくって口だけでの反省をするだけで、私の行動は何一つ変わらない。
あらゆる嘘をついて薬を手に入れるために、ギャンブルをするために夫からお金を引き出します。
心療内科の医師は、私が薬を飲んで逮捕されたことを知りながら、薬を処方し続けました。その医師だけでなく“病院”へ対する不信感も大きくなります。
だけど出所した私を見たら、薬が抜けとても健康的な顔になっている。受刑前とはまるで別人のようになった私を愛おしいと思います。
セックスをして中出しをしたとき、ドロドロとした感情が夫にあったと思います。
俺のことを散々コケにしてきたこの女を許せない、でもやっぱり愛おしい、だけど俺を裏切り続けたのは間違いない、でももしかしたらこれからしっかり更生してやり直せるんじゃないか、いやでも今まで散々何度もこの女に騙されてきたじゃないか!信じてはいけない。
そんなあらゆる感情が「中出し」という行動にあらわれたのです。
私の感情
2年ぶりに夫に会えて、とにかく依存症のことを分かってもらおう、私が再犯しないためにも依存症への治療が必須だと必死に説得します。ですが上記に書いたように夫は病院に激しい不信感、嫌悪感を持っていました。だから車の中でとても嫌な顔をしたのです。その表情に私は絶望しました。
私は立川拘置所と栃木刑務所で、散々自分の人生を振り返り見つめなおしてきました。
刑務所へ来てしまったことを激しく後悔し、今後の人生をどう歩いて行くか、不安がありながらも毎日前向きに過ごしてきました。
私は前科者の子どもが就けない職業があることを、立川拘置所で知りました。きっと夫もそういうことは調べているだろう、今後離婚するか結婚生活を続けるか分からないけど、少なくとも簡単に子どもを持つようなことはあってはならない。私はそう真剣に考えていました。
刑務所で母を捨てて女になっている受刑者を散々見たことも、私に大きな影響を与えています。
私は間違った選択をしたから刑務所に来た、刑務所に来たことが私を成長させたのは間違いないのですが、それを自分の子どもにも背負わせることができるかと問われたら、また話は別です。
その考えを書いたブログはこちらです→「私が子どもを作らない理由」
家に帰ったら母は居ない。マジで捨てられたんだと改めて実感し、母への気持ちを整理していたはずなのに、怒りや悲しみとなって襲ってきました。
留置場での生活も含めると約3年、3年で家の周りは大きく変化していました。周囲の新しい建物見て、ここには昔なにがあったっけ?と思い出せなかったりする。夫への依存症の説得も、母がいないことも、そういう大きな変化に心が付いて行きませんでした。
仮釈放当日にセックスをすることが、本当は嫌でした。
求められて応じたのは、夫に対する罪悪感があったからです。そして勝手に中出しされました。
もっと私の話を聞いてよ、聞いた上でセックスするならまだ分かるけど、やっぱり夫は私を恨み続けているんだ。
だから中出しをして滅茶苦茶にしてやれって思ったんだ。その想いはこれからも消えることは無いんじゃないか。これで子どもが出来たらあなたはどうするつもりなの?そういうことをちゃんと考えての今回の行動なの?
怒り、悲しみ、諦め、先の不安、そんな思いが私の頭の中を占領していきました。
長くなってしまったので今日はここで一旦終わりにします。
ブログを読んでくださる皆さんは、「症子さんを支えたご主人はすごい!」と思っているでしょう。
夫が忍耐強く支えてくれて今の私があり、今では夫婦仲も良く、私のやろうとしていることに理解を示して応援してくれていますが、そこに至るまでは決して簡単な道のりではなく、お互いに傷付け合ったこともあったのです。
夫もまた私と共に成長したということを、皆さんにお伝えできればと思い、今日はこのような内容を書かせて頂きました。
長々読んでいただいてありがとうございます。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。