前回のブログでは「碧の森」の運営を始めたこと、なぜ碧の森を始めようと思ったのか、その名前の由来や、碧の森への想いについて書きました。
個人的にお祝いのLINEを下さった方、メッセージを下さった方、コメントを下さった方、本当にどうもありがとうございました。碧の森が依存症者や受刑者、そのご家族の力となれるよう、依存症子はこれからも前進していきます。
皆さんからのご意見は真摯に受け止め、今後の活動の参考とさせていただきます。これからも依存症子と碧の森を、どうぞよろしくお願いします。
依存症子は出所後、何やってたの?
今日のブログから、私が出所後に何をしていたか?夫との関係はどう変化して行ったのか?何の資格試験を受けたか?どんな人と出会ったか?受刑者になってしまったことでどういう変化があったか?など、具体的に書いて行きます。
出所してから今まで、色々なことがありました。
自業自得です。自分の行いのせいで失ったものがたくさんありました。
今日はそのうちの一つ、友人について書きます。
スマホの開通で
以前書いた出所後の苦しみで、アスペルギウスの肺炎になったと書きました。そのおかげで私はスマホを持つことを許されました。もちろん夫からすれば渋々、仕方なくです。
夫は私の受刑中に携帯を解約することなく、休止にしてくれていました。
いつか復活させてあげようと考えていたのでしょうが、思ったよりも早く携帯が必要な事態に陥ったことで、その時期が早まりました。
番号は以前と変わらぬまま、開通させることができました。
受刑前の記憶が無い、その恐怖
これまで私のブログを読んでくださっている方には、何度も同じ説明をして申し訳ありませんが、私は向精神薬の飲み過ぎで、逮捕前の記憶がほとんどありません。
デパスはフリスクケースに入れてお菓子のようにパクパク食べ、ベゲタミンは毎晩4錠、ハルシオンを1シート、サイレースにエリミン、とにかく大量の薬をちゃんぽんしていました。
起きても朦朧状態で車を運転し、しょっちゅう事故を起こしていました。一時は車両保険に入れなくなったほどです。それだけ飲んでりゃ事故も起こすし、記憶もなくなる。良く生きてるねってレベルだと思います。
逮捕前に夫とどんなふうに過ごしていたか、誰と連絡を取っていたか、何をしていたか、全く覚えていない。その恐怖が出所後に現実として襲い掛かってきました。
自分が何をしたか覚えていない、完全に分かっていない。夫も知らない何かがあるかも知れない。その恐怖は正直、今現在も感じています。
出所後に通帳記入をすると、知っている人からの入金以外に、誰だか分からない入金がある。偽名なのか本名なのかも分からない。それを見たときの恐怖。「この人誰だろう?私この人に何て言ってお金をだまし取ったんだろう……?」
大量に持っていた服、ブランド品、小物は、借金を清算するために全て売られていました。自宅に残っていた服は、きっと値段が付かなかったのでしょう。そして全く私の好みじゃない。「これは買ったもの……?それとも……」
ビクビクしながら過ごす毎日
毎朝夫は仕事に出る前、私に1,000円を生活費として渡します。これも以前書きましたが、1,000円で生活なんてしたことがありません。料理も出来ない、包丁の使い方も分からない、肉、魚、野菜の値段の相場が分からない。
うちは新聞を取っていないので、スマホで近所のスーパーのデジタルチラシを見て、値段を比較したのを良く覚えています。
買い物の度に当然外に出るわけですが、これが本当に怖かったんです。外ですれ違う人全員に、自分が元受刑者だと知られているような感覚に陥ります。
約2年半ぶりに外の世界に出たのです。見るもの全てが新鮮で、外で生活する人がとても偉く見えました。「刑務所に行かずに生活出来ている=人間的にも素晴らしい人」、そんなふうに勘違いしていた時期でもあります。
自分が何かおかしな行動をしていないか?外の人と同じように振舞えているか?自分が元受刑者だとバレないように、普通に振舞おう、振舞わなきゃ。そんなことを毎日考えていたと思います。
高校の同窓会の開催、でも……
スマホが開通したことでLINEも開通します。以前ブログに書いた高校時代の友人からLINEがあり、「死んだかと思った!」と言われました。受刑中に全く連絡が取れなくなったことを心配して、私の家の周りまで探しに来てくれたような優しい友人です。(仮にY子とします。)
Y子には正直に、自分が薬物依存であったこと、向精神薬の飲み過ぎで窃盗を繰り返し、刑務所へ入っていたこと、正直に全てを話しました。
Y子は「反省しなさいよ!とにかく生きてて良かった!」と言ってくれて、涙が出るほど嬉しかったです。
そこからそんなに日が経たないうちに、高校の同窓会の誘いがありました。行くのを迷いましたが、少しずつでも普通の感覚を取り戻していかなくちゃという想いと、久しぶりに皆と会いたいという気持ちがあったので、参加することにしました。
同窓会の場にS香がいました。S香とY子と私の3人は、高校卒業後に一緒に免許を取りに行くほど仲が良かったです。
Y子が私を認めてくれたから、きっとS香も私のことを理解してくれるだろう。そんな甘い考えがありました。私は同窓会の場で、小さな声でS香に受刑していたことを話します。
高校時代はやんちゃでも、大人になれば変化する
同窓会の場に、S香は小さな子どもを3人連れてきていました。S香はいいお母さんをやっていました。その場でS香は、「マジ!?そうなんだ……大変だったんだね。」と言ってくれました。
二次会には私は行きませんでした。夫に無用な心配を掛けさせないためです。Y子は一次会には仕事で間に合わず、二次会だけ参加したそうです。
その後しばらくして、S香からTwitterのフォローが外されました。
そのとき、察しました。これが普通の反応だよな、と。
これは最近Y子から聞いたことです。
二次会に参加したS香がY子に、「症子が刑務所行くってやばくない?」と言っていたそうです。
Y子は「症子は症子で色々あったんじゃない?」と言ってくれたそうですが、刑務所まで堕ちた私をS香はきっと許せなかった、というか軽蔑したのでしょう。
私はY子に、私から離れていくのは仕方がないこと、それは甘んじて受け入れるし、これからもそういう人は出てくるだろう。
それが私のやってきたことの代償であり、分かってくれ!なんておこがましいことは言えない、と言いました。
確かめてはいませんが、S香にはLINEもブロックされているかも知れません。
S香は高校時代にそこそこなやんちゃをした。でも今は家庭を持ち、ちゃんと母親をやっている。自分の子どもに悪影響を及ぼすような存在とは付き合わない、縁を切る。
これは家庭を守る母親として、正しい行動だと思います。
刑務所を出所してから、失ったものの大きさを実感する
青春時代を面白おかしく過ごした、S香という大切な友人を私は失いました。自業自得、後悔先に立たずです。
Twitterのフォローを外されてから、しばらく悶々としていました。「S香だって色々やってきたじゃん!そりゃ私は刑務所行っちゃったけど、高校時代はそこそこ悪いこと一緒にしてきたじゃん!」そんなふうに考えたときもありました。
でも時間は流れるんです。
私の時間が止まっていただけで、周りは進んでいくんですよね。
元受刑者は、自分だけ取り残されたような感覚と、喪失感を味わうと思います。
出所直後は多くの現実と直面します。
その現実や辛さは、自分が招いた結果だということをしっかり理解しないと、また再犯を繰り返すのではないかと私は思っています。
先日、HPのプロフィール用にポートレート撮影をしてきました。
明日の夕方にはアップできると思いますので(できなかったらすみません)、今の依存症子の素顔が気になる方は、ぜひご覧いただければと思います。
依存 症子@izonshouko 今日はHPに載せる「今の依存症子」のポートレート撮影に行ってきます。スタジオ撮影など夜職風俗以来何年ぶりでしょうか·····。
※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ「依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりました」の内容を、加筆修正して再掲載したものです。
