Column

進藤さんの言葉は生きている

コラム

前回のブログでは、tomosibiさんのブログをリブログし、どうか孤独にならないでほしいと書きました。

22日の日曜日に、相談者さんを連れて罪友教会へ行ってきました。

 

相談者さんからあふれる涙

 

こちらの写真に写る相談者さん、説教の途中でぽろぽろ泣き始めました。説教の後に改めて進藤さんにお祈りをされ、さらに涙を流していました。

なぜ涙が溢れたか、皆さんお分かりになりますか?

私はクリスチャンではない無宗教の人ほど、進藤さんの説教を聞いてほしいと思います。

その理由の一つとして、生きる上でのヒントや気付きがたくさんあるからです。

 

 

Twitterをやらない方に向けて、文字起こしして解説していきます。

 

自分で自分を呪う言葉を使わない

 

これは、自分にレッテルを貼らないということです。

以前進藤さんとスペースを開催したとき、冒頭に進藤さんは同じことを仰いました。

クレプトマニアからの脱却というHPを運営されている悠さんが質問者になり、「クレプトマニアの悠です」と自己紹介をしたんですよね。悠さんは回復から3年が経過しています。

進藤さんは、「自分のことをクレプトマニアと呼ばないこと!盗らなくなって3年経ってるんでしょ?もう立派に止められてるじゃない。自分を“クレプトマニアだ”って呪わないでください!」そう言いました。

依存症は一生治らないと言われいる病気です。が、

必要以上に自分を呪うことで、ずーっと依存症に縛り付けられる必要はないかも知れない、私はこのように感じました。

依存症ではなくとも、「どうせ自分は○○だ」、「自分には○○が向いていない」、そんなふうに呪う必要は(卑下する必要は)ないんだよ、ということですね。

私もこれから自己紹介をするときは、「薬物・処方薬・窃盗・ギャンブル・自傷のクロスアディクションが、今は8年間止まっている依存症子です」にしようと思います。

 

自分の正しさに固執してはならない

 

これ、実践するのは難しいですね。「自分は正しいんだ!」と思っている人ほど、意見を曲げないし、人の言うことに耳を傾けません。

なぜ人は喧嘩をするのか、争うのか。それは各々の正義がぶつかり合うからです。

自分が正しいと思っていることを否定されたり、批判されれば、誰もが腹が立つと思います。

そこに固執せず、柔軟性を持ち、「この人はどういう視点からこの発言をしたのだろう?」、そのように考えることが出来れば、自分の視野はどんどん広がっていくと思います。

 

なぜ?どうして?と相手を責めるのではなく、自分に目を向けて考える。

「なぜ相手はこの発言をしたのだろう?」、「どうして相手はそう思ったのだろう?」

そう考えていくと、己の正しさに激しく固執することはなくなるように感じます。

 

知識は人を高ぶらせる

 

知識は人を成長させると同時に、知れば知るほど誰かに披露したくなるものです。

自己顕示と似ているかも知れませんが、「私はこれだけ知ってんのよ!すごいでしょ?」と言う感じですね。

知識を持っていることで、同じような分野の人と話をするときに、「そんなの当然知ってるわ!」ともなりがちです。

高ぶりと驕りは、似ていると思います。

自分の持っている知識に胡坐をかくことなく、日々研鑽し、驕らず、謙虚な姿勢でいること。

人間関係を円滑にするためにも、必要なことだと思います。

 

依存症子、偉そうに……じゃあお前は出来るのかよ!?

 

すみません。出来ていません。

出来ていないからこそ、ここで皆さんと情報を共有し、出来るように一緒に進んで行きたいと思います。

進藤さんの説教の中で、私に出来ていることがいくつかあります。それも合わせてご紹介します。

 

人は変われると信じる、人は必ずやり直せる

 

碧の森へ来てくださる相談者さん皆さんが、必ず変われると心から信じています。

信じなかったら、この活動はできないです。

今現在依存症に苦しむ方が、必ず回復できると信じています。

そしてそのご家族やパートナーが、今よりもはるかに幸せになれると信じています。

 

人は必ずやり直せる。これを実際に証明しているのは、進藤さんです。

そして進藤さんの講話を立川拘置所で聞いた私も、満期から5年が経過し、前向きに生活することが出来ています。

仮釈放後は本当に本当に辛かった。何度も躓いて、失敗しながら辛さを乗り越え、今の依存症子が存在します。

今の私は、自らを律しながら人生を歩み、しっかり地に足が付いた状態だと言えますね。

 

言葉は必ず形になる

 

思い返せば、4年前から通うネイルスクールで、先生に元受刑者であることをカミングアウトしたときから、今の活動が始まりました。

「私は刑務所で講話をしたいんです!こんな私でもやり直せるんだから、貴女だって必ずやり直せる、それを中の人に伝えたいんです!」

先生はあっさりと、「じゃあやればいいじゃん?」と言いました。

私、「簡単に言ってくれるけど、どうやってやればいいねん……」こう思っていました。

 

でも、あれから全てが始まっていると感じます。

私が言葉にし続けてきたから、このブログで書き続けてきたから、“刑務所で講話をする”ことが、少しずつではありますが、形になりつつあると感じます。

 

言葉にすることで、身体がその方向に向かって動いていく。

これを皆さんにも体感していただきたいと、私は思います。

それにはきっと何年も掛かります。でも決して諦めないでください。

言葉にし続けて、実現に向けて行動を起こしていく。

小さなことからコツコツと、着実に、地に足を着けて進む。

基本的なことほど、大切ですね。

 

Twitterで、私の印象についてアンケートを取ってみました!

 

 

・自分も他人も知っている自分
・自分は知っているけれど、他人は知らない自分
・自分は知らないけれど、他人は知っている自分
・自分も他人も知らない自分

これを「ジョハリの窓」といいます。

このアンケートで「その他」に投票された方には、コメントでご意見を伺いました。

「自分は知らないけれど、他人は知っている依存症子」を知ることが出来て、なかなか面白かったです。

1位は僅差で、「怖い・厳しい」でした。思った通りの答えだったので、自分をある程度俯瞰することが出来ていると思いました。(笑)

投票、コメントしてくださった皆さん、どうもありがとうございました!

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。

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