Column

近付く父の命日 #1

ギャンブル依存症

前回のブログでは、受刑者と文通をしていて気付いたことがあり、出所後も過去の棚卸しを続けることは大切だと書きました。

 

私の父

 

今日は私の父について書いていきます。

私の父は昭和17年生まれ。生きていれば今年81歳です。

父は根っからのギャンブラーです。定職に就かず、競輪でお金が無くなっては日雇いで働く生活を繰り返していたと生前の母から聞いています。

 

母と結婚し、妊娠してから定職に就きます。空調関係の職人です。

私の物心がついたときには、一日も休むことなく一生懸命働いていました。

 

優しい=Yesマン

 

父は私に何でも与えてくれました。そして怒りませんでした。

2回だけ、激高したことがあります。その内容はあとで書いていきます。

私が虐待を受けていることを、父は薄々気付いていたと思います。でも見て見ぬフリをしました。そして父は母の味方でした。

父がなぜ母の味方だったかこちらに書いておりますので、ご一読いただけますと幸いです。↓

 

そんな私を不憫に思ってか、父は私に何でも買い与えました。

塾へ行きたいと言えば通わせてくれました。中途半端に「もう辞めたい」と言えば、怒ることも諭すこともせず辞めさせてくれました。

父は私のYesマンでした。
母に対して「静香が○○と言っているならそうさせてやれ」、と言い続けたそうです。

 

父は風俗通い、母はパチ屋の店員と不倫

 

私に甘い父を、母は私の前で罵りました。

「お父さんがあんたを甘やかすから、こんなどうしようもないクソガキになった」、このセリフを何百回聞いたか分かりません。

静香を甘やかしやがって!と、怒りの矛先は家に居ない父ではなく、私に向きます。

本当に嫌だった。父の悪口を言い続ける母が、本当に本当に嫌でした。大嫌いでした。

私に矛先が向く「だけ」ならまだいい。

私に優しいお父さんが大好き、大好きなお父さんの悪口を言い続けるお前はいらない、さっさと死ねばいいのに、と思っていました。

 

結果として父が良かれと思った行動は、私を「何の努力もしない、嫌なことから全力で逃げ、投げだす大人」になる素地を作りました。

 

夫婦仲はこの頃が最悪だったのではないかと思います。

父は風俗へ行き、それが母にバレて、母はパチンコ屋の店員と不倫をするようになります。

 

以前ブログに書きましたが、小学校4年生の時に、母の不倫相手と2人で、行きたくもないWinkのコンサートに行くことになりました。

これは母が真剣に父との離婚を考えており、私と不倫相手の相性を見るために起こしたアクションだと思っています。

私からすれば頭の中に「?」がいっぱいです。

私、何でこのパチ屋のオジサンと、見たくもないWinkのコンサートに行かなきゃいけないんだろう……

 

私の貞操観念は歪んでいる

 

余談ですが、私は男性が風俗へ行くことを悪と思いません。不倫も、妻にバレないように男性側が上手くやれるならアリだと思っています。

男性の本能だから、お金で処理ができる風俗は手軽で後腐れが無い、良いツールだと思っています。

これは認知が歪んでいると、今はしっかり自覚できています。

この歪みの原因は、私が夜の仕事や風俗で働いていたということもありますが、幼少期の性被害や、両親の性に対する奔放さを見てきたことも大きく影響していると思っています。

 

覚醒剤、LSD、向精神薬、ギャンブルにのめり込む20代前半

 

どうしようもない大人になり、蛙の子は蛙で、夜の世界にどっぷり浸かります。

同時にあらゆる依存が酷くなっていきます。まだ窃盗は始まっていません。

 

薬物も相当ですが、ギャンブルへのめり込む様は異常でした。

朝イチでパチンコ屋に並び、パチンコ屋の黄金時代、全盛期と呼ばれるころの台を打ちまくります。(機種名で言うとスーパービンゴ、ミリオンゴッド、巨人の星あたりです。)

 

今では信じられませんが、午後になるとどこに設定6が入っているかを店側が発表していた時代です。懐かしいですね。

夕方になると家に帰って身支度を整え出勤し、仕事が終わればポーカー屋へまっしぐら。

帰宅は朝の5時6時が当たり前、少し寝てまたパチンコ屋に並ぶ。

 

こんな生活を続けていました。

 

2003年の1月、父が体調を崩します

 

年末から父は風邪気味でした。
父も母も病院が大っ嫌いで、自治体で無料の健康診断があっても行った試しがありません。

家にある風邪薬で年を越しますが、一向に回復しませんでした。

どうせすぐ治るっしょ、と高をくくり、私は正月からギャンブル三昧です。

2日から夜の仕事も始まったと記憶しています。お客さんは本当にまばらでしたが、来る人は来るんですよね。今考えれば、アルコール依存症や性依存症の男性たちだったのかも知れません。

 

父の仕事始めは4日でした。

具合の悪い職人が、仕事になる訳がない。

年明けに病院が開くのは5日。私は仕事明けで10時くらいまで寝ていました。

寝ぼけ眼の私に母が声を掛けます。

 

「お父さん具合悪いから、あんた車で〇〇病院まで送って!」

 

断りました。「タクシーで行ってこいよ、こっち仕事明けで眠いしダルい」

後悔しても覆水盆に返らずですが、救急車を呼ぶべきだった。

 

母も、私も。

 

 

今こうしてブログを書いていても涙が出てきます。私は本当に本当に、父が大好きでした。

 

 

来週のブログはお休みさせていただきます。次回更新は2週間後、27日です。

 

 

あけましておめでとうございます

本年も湯浅静香をどうぞよろしくお願いいたします。

 

すでに花粉の症状が……

花粉症の皆さん、症状はいかがですか?
私は昨年末から、就寝中に鼻がつまるようになってきました。早すぎませんか……

 

前科者座談会、第4回開催決定

前科者と元受刑者限定の座談会を定期的に開いています。

今月は1月27日(金)、19時~おおむね3時間程度です。

参加したいとお声掛けいただくことが増えました。ここで「前科者」についてしっかり明記します。

前科者とは、一般的に刑事裁判で有罪判決を受け、刑の言い渡しを受けた者のことを言います

 

勘違いされる方が居ますが、交通違反の「反則金」と刑事事件の「罰金」は異なります。例えばスピード違反で反則金を収めました、では参加いただくことは出来ません。

 

行政書士の佐藤智代先生の娘さんの作文

行政書士の佐藤智代先生のツイートです。保護司もされています。

娘さんがとても素晴らしい作文を書いています。前科者や元受刑者にとってこんなに嬉しい声はありません。皆さんぜひご覧になってください。

私はブログで「元受刑者は海外渡航が難しいよ」と発信を続けてきました。佐藤先生はそんな元受刑者や前科者の味方になってくださいます。

前科者、元受刑者で海外渡航を検討されいる方、ぜひ佐藤先生に相談してみてください。私ももう少し年数が経ったら佐藤先生にお願いします。

 

負の感情はたくさんの気付きを得られる

恨んだり、憎んだり、僻んだり、妬んだ相手に対して、心から「ありがとう」と言える日が、このブログを読む皆さんに必ず訪れることを信じます。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。

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