Column

近付く父の命日 #2

コラム

前回のブログは父について書きました。

今日のブログは前回の続きなので、タイトルを「近付く父の命日 #2」にしましたが、父の命日は1月15日でした。

タイムマシンがあったとして、父の具合が悪くなった時に戻れたとして、私に何が出来たかを想像します。

結果は変わらなかったでしょう。依存行為に絶賛耽溺中ですから、正常な判断など出来るわけがないのです。

結果は同じだと頭では分かっています。
でも年が明けると、タイムマシンがあったらどうするかなと考えてしまう自分がいます。

 

年末年始で体調を崩す父

 

年末から父は風邪気味でした。家にある風邪薬で年を越しますが、一向に回復しませんでした。

どうせすぐ治るっしょ、と高をくくり、私は正月からギャンブル三昧です。

年明けに病院が開くのは5日。私は仕事明けで10時くらいまで寝ていました。寝ぼけ眼の私に母が声を掛けます。
「お父さん具合悪いから、あんた車で〇〇病院まで送って!」

断りました。「タクシーで行ってこいよ、こっち仕事明けで眠いしダルい」

後悔しても覆水盆に返らずですが、救急車を呼ぶべきだった。

母も、私も。

↑前回のブログの抜粋です。
呼吸が苦しく、母の肩に寄りかからないと歩けない父を目の前で見ているのに、私は一切手を貸すことをしませんでした。

 

肺炎になっていた父

 

仕事に行く支度をしていたら、母から電話がかかって来ます。

父は風邪を通り越して肺炎になっており、即入院になりました。

 

携帯を持って来てくれと言われます。父の仕事用の携帯です。

この日は仕事を休んで、携帯、入院に必要なタオルなどの日用品を準備し、病院に向かいました。

 

ギリギリまで病院に行かない両親への怒り

 

車で病院に向かいます。イライラしていました。

 

父も母も自治体の健康診断に絶対に行かない人で、徹底した病院嫌いでした。

母に至っては健康診断を怠り、調子が悪くなっても我慢に我慢を重ねた挙げ句、週3回4時間の人工透析を死ぬまで受ける羽目になりました。

そんな母を高校生の時に見て、「我慢するなんてバカ。私は絶対にこうなるもんか!」と思いました。だから私は具合が悪くなると必ず病院に行きます。

今でもそのスタンスは変わりません。両親の健康への極度の無関心は、今の私の健康志向を形作っていると思います。

 

お母さんが人工透析を受けるようになった経緯をお父さんは嫌と言うほど見てんのに、何で健康診断受けねぇの!?

何で具合が悪くなったらすぐに病院に行かねぇの!?バカじゃねぇの!?だからこんな目に遭うんだろうが!!!

 

こんな怒りと腹立たしさが、運転中の私の頭の中をぐるぐるしていました。

 

父との最期の会話

 

病院に到着し、病室へ向かいます。父は私にすぐ気付き、

「お、静香、携帯持って来てくれたか?」と、

か細く弱々しい声で言いました。

 

私は物凄く腹が立ちました。

 

今にも消え入りそうな声で喋るのが精一杯なのに。一人で身体を起こすことも出来ないのに。

 

それなのになんで仕事の心配してんだよ!!

 

私は言い放ちました。

 

そんなんで仕事行ける訳ねぇだろ!?
具合悪いの放っとくからこんなんなるんだよ!!

 

父は少し呆れたような、悲しそうな笑顔をして、小さな声で「ああ、そうだな」と言い、眠りにつきました。

それから少しして、意識が無くなりました。

 

これが父と交わした最期の言葉になりました。

 

 

意識がなくなり、肺水腫と診断されます

 

「自発呼吸が難しいので挿管しますが、衝撃で歯が折れることがあります。ご了承願います」と医師に言われ、母も私も承諾します。

父の肺は水が貯まった状態となり、呼吸不全になっていました。

 

母は父方のきょうだいに連絡を取り、私は父の仕事関係の方に連絡を入れました。

私を指名してくれている医師のお客様に、片っ端から電話をしました。

父の状況を説明し、治るのか?死ぬのか?何日持つのか?聞き回ります。

 

担当医も、私が片っ端から連絡したお客様も、同じ見解でした。

 

もう長くはない。あとは死を待つだけ。

 

 

そんな中、私はスロットを打ちに行きます

 

家族に出来ることは、もう無いと思いました。

 

死を待つだけの時間が嫌でした。苦でした。

 

ギャンブルに逃げました。見たくなかったんです、意識が無いお父さんの姿を。

 

母から電話が鳴っても出ませんでした。

 

嫌なことしか聞かされないと分かっているから、掛かってきた電話に出ず、スロットを無心で打ち続けていました。

そのときお付き合いしていた男性から「電話に出た方がいいよ」と言われ、渋々電話を掛け直したのを覚えています。

 

危篤なんだから早く病院に来なさい!何で電話に出ないの!?あんたは本当に酷い人間だ、お父さんがこんなときにパチンコ屋に居るなんて人間じゃない!畜生以下だ!この人でなし!!

とにかく母が喚き散らかしていたのを覚えています。

 

1月15日に父は亡くなりました。

 

年末年始になると、怒りに任せて父に言い放った最期の言葉とそのときの光景を、鮮明に思い出します。

 

そんなんで仕事行ける訳ねぇだろ!?具合悪いの放っとくからこんなんなるんだよ!!

 

もっと優しい言葉を掛ければよかった。
ずっと傍に居ればよかった。
スロットなんて行かなきゃよかった。

母の言うように「人でなし」だった過去を思い出さざるを得ない月が、1月です。

 

棚卸しをする度に涙が出ます。

 

なんで泣くの?
勿論、後悔もあります。

それよりも「私は人でなし。その事実を決して忘れるな!」という意味の涙でもあります。

 

過去の私も、私です。無かったことには出来ない。
人でなしな自分も、嘘つきな自分も、依存症の自分も、全てひっくるめて自分です。

 

傍から見れば、自分で自分を追い込んでいるように見えるかも知れません。

「過去のあなたはそうだったかも知れない、でも今は違うでしょ?」そう声を掛けてくださる方もいらっしゃると思います。

ですが私は、過去の自分がやらかしてきた事を思い出さなくなったり忘れてしまったとき、また依存行為へと走り、刑務所へ戻ってしまうと分析しています。

 

この涙は、私の回復と更生に必要な涙なのです。

 

 

 

ブログの初めに貼ったツイートです。

依存症は本当に怖い病気ですが、依存症になったから今の私が存在し、多くの方と繋がることが出来ました。

 

だからこそ、「過去を踏まえて」、これからも毎日を丁寧に過ごして行きます。

 

 

性とこころ関連問題学会、リアル開催です!

 

大船榎本クリニックの斉藤章佳先生、信田さよ子先生が登壇されます。超豪華メンバーですので、遠方にお住まいの方もこれを機会にぜひ参加をご検討ください。

7月8日(土)開催です。

梅の盆栽が咲きそうです

我が家には梅、桜、沈丁花の盆栽がありますが、梅の蕾が膨らむと花粉が大量飛散するなぁと毎年思います(笑)
 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。

PAGE TOP