Column

日本人の心情は察しと思いやり

コラム

前回のブログでは、人によって考え方や思想は違う、人それぞれ持っているものさしが違う、そのものさしを手放してみると、新たな気付きがあるかも知れませんということを書きました。

本日のブログは、過去ブログより抜粋しながら書いて行きます。こちら2020年08月31日(月)に書いたブログです。懐かしい……

過去ブログにはこう書いてあります。

『どんな病気も、それを言い訳にするようなことをしてはいけないと私は考えます。
これは依存症だけではなく、色々な病気で置き換えることができます。

まず私で例えていきます。
私は薬物依存症でクレプトマニアだから、覚せい剤をやってOD(オーバードーズ)して物を盗むのはしょうがないよね、となるでしょうか?

双極性障害だから、躁のときに買い物をしまくって散財しても仕方ないよね、となるでしょうか?

解離性障害だから、違う自分のときに他人に暴言を吐いたり傷付けたりするのは仕方ないよね、となるでしょうか?

発達障害で相手の気持ちを察することができない、会話が噛み合わない、だから周りの人が自分に合わせるべきだよね、となるでしょうか?』

どんな理由があっても、人を傷付けていい理由にはなりません

もしあなたが傷付いたのなら、相手にそれを伝えればいいと私は思います。

簡単に言ってくれるよ…と思う方も居るでしょう。因みに私の場合ですが、誰彼構わずに伝えるわけではありません。自分が大切に思っている人には、傷付いたことをしっかりお伝えします。

それは何故か?

どれだけ仲が良くても、血の繋がった家族でも、完全に分かり合えないからです。

「私はさっきの○○さんの言葉で傷付いた。どういう意図で言ったのか、教えてほしいよ」という感じです。攻撃的にはならず、冷静に傷付いたことを伝えます。

ほとんどの場合、真意が伝わっていないことが多いです。

「そう感じさせてしまったならばごめん。自分は○○という意味で言ったんだ」、そのように説明されると、「なるほどね~」となるのが私です。

いちいち言うの、めんどくさくね?ダルくね?そう思った方もいらっしゃるでしょう。

言わずに後々モヤモヤする、悩む、涙が出る。そっちの方が「私は」嫌なのです。

これはあくまでも「私の」夫や友人関係の場合です。では、

SNSでそのようなことが起こったら?

私の場合、フォローを外すかミュートをします。

実際に顔を見て話をしていても完全に理解し合うのは難しいのに、本人の顔も年齢も知らない、住んでいる所も仕事も知らない、そういう関係の人と分かり合えると思ったら、それはSNS使用者のネットリテラシーが低いと思います。

※ネットリテラシー→インターネット・リテラシーの略。インターネットの情報に事象を正しく理解、適切に判断、運用できる能力。

たかがSNS、されどSNS。あなたの発言一つで、傷付く人が「いるかも知れない」ということを、頭の片隅に置いても良いのではないでしょうか。

そんな私も、誰かを傷付けています。

人それぞれものさしが違い、考え方にモノの見方に個性も違い、育った環境も学歴も違う。自分が意図していなくても、人を傷付けることは必ずあります。

「あれ…自分、もしかして○○さんを傷付けたかも…」

そう思ったり感じたときは、どうすればいいでしょう。

簡単です。


素直に謝ればいいんです

人前で頭を下げるなんてプライドが……と言う人もいるでしょうが、人間は頭を垂れてなんぼです。

・この人、謙虚だな

・この人、傲慢だな

どちらの生き方をすれば人生で得をするか。当然前者です。

そのような人の周りには、常に人が居ます。

謙虚な人は、当たり前ですが慕われるのです。


強がらなくていい

どれだけ強がっている人でも、弱さが垣間見えるときがあります。

もしあなたが無理をして強がったり虚勢を張っているのなら、やめた方がいいです。

ハリボテはハリボテ。周囲はとっくに気付いています。あなたが弱いことを。

素直に生きればいい。

人間誰しも弱い。私だって弱い。だから辛いときは辛いと言います。泣きたいときは泣きます。弱さを隠す必要なんて、ないと思うんです。

泣いたって誰も馬鹿にしません。もし馬鹿にするような人が居たら、その人と縁を切ればいいだけです。

前回のブログに書いたように、“誰からも好かれる”、そんなことは不可能です。

「誰からも好かれなくていい!自分はこういうヤツなんだ!」と開き直り、自虐的な人をたまに見掛けます。

そんなことをして何の意味があるのか、自分の価値を貶めて、とことん自分を傷付けて、どうしてそこまで追い込んで自傷行為のような真似をするのだろうと、見ていて苦しくなります。

だから私は、見えないようにミュートをします。

他人の気持ちを推し量ることはできます

これまでのブログでも何度か書いていますが、受刑者、元受刑者、依存症者、アダルトチルドレン、機能不全家族で育った人は、人の気持ちを推し量ることが苦手な人が多いと感じます。もちろん私も含めて。

逆に察しようとし過ぎて、繊細過ぎる人もいます。

どちらにも傾き過ぎず、バランスが良いのが理想ですよね。

相手の気持ちを尊重しながら、自分の弱点を克服していけたらいいね。今日はそんなお話です。

リアルだろうがSNSだろうが、察しと思いやりは必要だと思います。

皆さんお気付きですか?今日のタイトルは、エヴァンゲリオンのミサトさんのセリフをお借りしました。気付いた人は相当なエヴァマニアですね(笑)

最後に、私の大切な友人と、最近のネイルを紹介させていただき、今日のブログは終わりにします。

 

※この記事は碧の森運営者、依存症子のブログ依存症子 好き放題を続けていたら受刑者になりましたの内容を、加筆修正して再掲載したものです。

最近は多くの方からコメントをいただきます。碧の森のHPをご覧の皆さん、こちらの元記事のアメブロのコメント欄もぜひ参考になさってください。

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